『失われた時を求めて』ミュージックプレイリスト vol.4「見出された時」|読むより音楽で「聴く」プルースト
失われた時を求めて』を音楽でたどる、プルーストの世界へようこそ。
プレイリスト最終回(4回目)の今回は、「見出された時」をテーマに、プルーストとの関係性が最も濃い音楽家のひとり、クロード・ドビュッシーの作品を挙げます。
後もうひとり挙げるとすると、普通はロベルト・シューマンかもしれません。
でもこのプレイリストでは、あえて、モーツァルトを選びました。
古典として確立されながらも、なお現代性を感じさせる選曲にしました。
プルーストの作品での直接的な言及は多くありませんが、当時のパリでもモーツァルトは演奏されていました。
たとえば1887年には、パリのオペラ座で《ドン・ジョヴァンニ》が8回上演されていた記録があるそうです。
プルースト青年が16歳ごろですね。
それでは、シリーズ最終回のプレイリストをお楽しみください。
1. クロード・ドビュッシー(Claude Debussy)弦楽四重奏曲ト短調Op.10
ドビュッシーとプルーストは、直接的な交流があったわけではありません。けれど、二人の作品にはどこか似た空気があります。
ドビュッシーが音の響きや色彩の変化から、移ろっていく一瞬を音楽にしたように、プルーストもまた、ふとした感覚や記憶から、過ぎ去った時間を呼び戻しました。
目に見えるものをそのまま描くのではなく、「感じたもの」から世界を描き出す。
そんな共通する感覚から、ドビュッシーの音楽をプルーストの世界に重ねてみたいと思います。
2. ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)交響曲第41番 ハ長調 K.551
そして最後に、モーツァルト。
古典として確立されながらも、なお現代性を感じさせる存在。
《ジュピター》終楽章の最後、いくつもの旋律が重なり合い、一つの大きなフーガへと収束していきます。(28:15~)
その響きを、『見出された時』の終盤、長い年月を経て過去の記憶が次々と結びついていく場面に重ねてみたいと思います。
ハ長調という明るく原初的な響きと、子供時代への回帰。
個人的な印象ですが、「長い間、私は早く寝ることにしていた......」《 Longtemps, je me suis couché de bonne heure. 》から始まるコンブレーの世界に回帰するイメージです。
長い物語の中で通り過ぎてきたものが、走馬灯のように(大フーガの40〜50秒間の)最後の一瞬に次々と甦ってくる。
「プルーストを音楽でたどる」プレイリストは以上です。
そして、『見出された時』で〈私〉を老人扱いする若者たちを読むと、彼らはモーリス・ラヴェルの音楽に熱狂していたのではないか、と想像してしまいます。
プルーストが描くのは、単に〈私〉が年を取ったということだけではありません。〈私〉が知っている世界そのものが、次の世代へと移り変わってしまったという感覚です。
もしその若者たちの時代を音楽で表すなら、ラヴェルは、そんな新しい時代の響きとして聴こえてきます。
