9月3日の夜に/「不登校」に用がない
夏休み明け、どうにか無事に登校できた子どもに安心していたのも束の間、
「そういえば、学校がある毎日ってこんな感じだった……」
夏休み期間ですっかり忘れきっていたあれやこれやを思い出し、また新たな(そして懐かしい)焦燥に駆られている親が私です。
うちの子と学校との相性、そもそもそんなに良くないんだった。
我が子も我が子で感覚的に思い出したようで、学校生活に慣れた頃に再開しはじめた「行きたくない!!!」の強い主張。あまりに強すぎて、今日はさっそく担任の先生との面談が入るほど。そうだそうだ、我が家の「日常」ってこんな感じだった。
夏休みの日常が「非日常」に切り替わったことを、まざまざと痛感した9月3日。
そして改めて、これで良かったのだろうか?と問い直す日々へ。
「もしも今の公立小学校から離れるならば、他にはどんな選択肢があるんだろう?」
他の公立小学校からフリースクール、オルタナティブスクールまで、一学期よりも真剣に探しはじめたところ…… 探せば探すほど目に入ってくる、
「不登校」
の三文字。思わず頭を抱えてしまいました。
不登校があまりに多くって、いまや社会問題で、いろいろな場所でいろいろな支援活動が行われていて、行政も動きだしていて、だけど学校は変わったり変わらなかったりで… という流れは、子育てをしていたら否が応でも周辺視野に入ってきます。それはそれとして。
「不登校」や「行き渋り」ともまた微妙に異なるこのニュアンスを、いったいどうやってキーワードにすればいいんだろう???
そもそも「不登校」って結果に過ぎなくて、そこに至るまでの原因は多種多様なはずなのに、十把一絡げに扱ってしまっていいのだろうか???
「不登校の子どものための居場所」という表現が、あまりに大雑把で、ありふれすぎていて、かえって探すことも選ぶことも難しくなってしまったのでした。
もちろんもちろん、「不登校」という結果に至られたご家庭には、そのような表現で示される場所がこれ以上ない希望であることを理解してはいます。
ただ、我が家はその途上にあって。途上というか、属すには至らず、現時点では不登校になるかどうかも分からない。現象としての行き渋りはあるけれど、理由は割と子どもの中ではっきりしている。
誰かが決めた謎のルールに意義を見出せないこと。
意義を見出せないからできずにいたら、叱られたり罰を受けたりするのも納得がいかないこと。
強制される学びの時間がちっとも楽しくないこと。
もっと自由に、自分が満足するまで学びたいこと。
どれもこれも、本人が語ってくれた内容です。
これらのポイントを満たす「学びの選択肢」として、今のところ最もしっくりきているのが「児童期のモンテッソーリ教育」なのですが、残念ながら近場にスクールはなく…。せめて家庭でできる範囲だけでもと、親の私が学んでいるところです。
「学校にかぎらない学びの選択肢」を探すとき、「不登校」というワードは、たしかに「学校とは違う」位置を示すもので、出会いたい対象に近そうで。だけどやっぱり大枠過ぎて、そのうえ現状入っているわけでもない枠だから、どうにも見送ってしまうのです。
だからといって、「不登校」の状態に至るまで待つ…というのも私たち家族の性に合わない。
求めているのは、ひとえに、学びたい意欲のある子どもが、大人たちの都合に追いやられることなく、正しく学べる環境。
それを小学校で(今回のクラスで)得るのが難しそうなため、何かしらの選択肢を探しています。まずは私たちにとっての「正しさ」を精査するところからでしょうか。
幸い校長先生が柔軟な方で、PTA活動もいい意味で熱心な学校のため、このまま通学できる余地もありそうなのですが……あとは我が子がどれだけ納得のいく環境に落ち着けるかどうか。模索の日々は続きます。
