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レトロゲーム連作短編小説『死にゲーのエピタフ:高度数十センチの絶望』

男が意識を取り戻したとき、最初に感じたのは冷たい岩肌の感触だった。

頭部には頑丈そうな金属製のヘルメット。身を包むのは厚手の丈夫な探検服。腰のベルトには見慣れない形状の光線銃、数本のダイナマイト、そして閃光を放つ器具が整然と収められていた。

男には、自分がなぜここにいるのかという明確な記憶がなかった。ただ、頭の奥底にひとつの強烈な目的意識だけが刻み込まれていた。この巨大な地下洞窟の最深部に眠る、伝説の財宝を手に入れなければならない――それだけは疑いようのない事実として認識できた。

胸元にある小さな計器が、微かな電子音を立てていた。覗き込むと、細いゲージが刻一刻と減り続けている。どうやら酸素の残量を示すメーターのようだった。男は息を呑んだ。のんびりと途方に暮れている時間はないらしい。

男は立ち上がり、洞窟の奥へと歩き始めた。足元は平坦で、先には下へと続く小さな段差があった。大人の膝丈、せいぜい数十センチほどの、階段の一段にも満たないような段差である。

男は何の気なしに、その段差からひょいと飛び降りた。

――その瞬間だった。

視界が真っ白に弾け飛んだ。何かが砕け散るような激しい衝撃音とともに、男の意識は唐突に、完全に途絶えた。

気がつくと、男は洞窟の入り口――少し前の平坦な場所に立っていた。

「……何が起きたんだ?」

男は自分の手足を見つめた。外傷はない。酸素メーターも満タンに戻っている。あまりの出来事に呆然としながらも、男は再び歩き出し、先ほどの段差の前に立った。

まさかとは思うが、あの数センチの段差から飛び降りたことが原因なのだろうか。

男は今度は飛び降りず、慎重に、ゆっくりと片足を下ろして段差を降りた。何事も起きなかった。男の背筋に冷たい汗が流れた。この世界における己の肉体は、想像を絶するほどに脆く出来ているらしい。常識で考えれば、子供でも飛び降りて笑っているような高さであっても、この男にとっては致命的な落差となるのだ。

男は極度の緊張感を抱きながら先へと進んだ。

洞窟は複雑に入り組み、垂直に伸びるエレベーターや、底知れぬ闇へと続くロープが張り巡らされていた。男は歩行すら慎重に行い、小石につまずくことすら恐れながら進んだ。

やがて、頭上から羽ばたきの音が聞こえてきた。見上げると、巨大な黒いコウモリが天井付近を旋回している。男は身を固くした。コウモリはこちらに襲いかかってくる気配はなかったが、男の頭上でポトリと、小さな排泄物を落とした。

それは、男の頑丈なヘルメットの端に、かすかに触れた。

次の瞬間、男の視界は再び白濁し、世界が暗転した。

目覚めると、またしてもエレベーターの前に立っていた。

男は震える手でヘルメットに触れた。落下の衝撃だけではない。コウモリの糞の一滴すら、この身体にとっては致死の毒物、あるいは爆弾に等しい破壊力を持つのだ。

「この世界の物理法則は、狂っている」

男は呟いた。しかし、絶望している暇はなかった。胸の酸素メーターは確実に減り続けている。立ち止まることは死を意味した。

男は学習した。死ぬたびに、この悪夢のような世界の理を、痛烈な代償とともに頭へ叩き込んでいった。

コウモリが現れたときは、腰の閃光器具を作動させる。強烈な光を浴びたコウモリは煙のように退散した。
壁をすり抜けて男の命を刈り取ろうと迫り来る不気味な半透明の幽霊には、腰の銃から放たれる特殊なエネルギー波を浴びせれば消滅させることができる。
壁を塞ぐ巨大な岩は、ダイナマイトを仕掛けて爆破すれば道が開ける。ただし、爆発の範囲から充分に距離を取らなければ、爆風の余波だけで自分の身体は四散してしまう。

そして何より恐ろしいのは、移動そのものだった。

垂れ下がったロープからロープへと飛び移る瞬間、男の心臓は早鐘のように鳴り響いた。跳ぶ角度、滞空時間、着地する足場の高さ。それらが一ミリでも狂い、ほんのわずかでも「落下」と判定される距離を生み出してしまえば、その瞬間に死が訪れるのだ。

男は息を殺し、極限の集中力で跳んだ。

ロープを掴み、反動をつけて向こう岸の足場へ着地する。足の裏が地面に触れた瞬間、男は全身の筋肉を硬直させて衝撃を殺した。

成功だった。

男の唇に、薄い笑みが浮かんだ。

最初は理不尽極まりないと感じていたこの肉体も、ルールさえ完全に理解し、寸分違わぬ精密さで操作すれば操ることができる。死を繰り返すうちに、男の動作からは一切の無駄が削ぎ落とされ、機械のような正確さを獲得していた。

酸素の残量に気を配り、幽霊を撃ち、コウモリを追い払い、鍵を拾って扉を開ける。

自分は進んでいる。確実に、この巨大な迷宮を制覇しつつある。

男は奇妙な万能感に包まれていた。どんなに脆いガラス細工の肉体であっても、完璧に制御できる知性と技術があれば、神にすら等しい存在になれるのだ。

地下二層へと続くエレベーターの脇、苔むした岩肌の窪みに、淡く怪しい光を放つ小瓶が転がっていた。

近づいて拾い上げると、中には鮮やかな赤い液体が入っていた。

男の直感が告げていた。これは貴重な秘薬だ。過酷な洞窟を踏破する冒険者に与えられる、奇跡の強化アイテムに違いない。

男は迷うことなく、その赤い薬を一気に煽った。

途端に、全身の血管を熱い奔流が駆け巡った。心臓が力強く脈打ち、筋肉が鋼のように引き締まる感覚があった。五感が研ぎ澄まされ、視界が異常なほどクリアになる。

「力が……みなぎってくる」

男は歓喜に震えた。これまでの慎重で臆病な歩みはもう必要ない。この薬効があれば、どれほど俊敏に動き、どれほど遠くまで跳躍できることか。

男は目の前の扉へ向かって、最初の一歩を踏み出した。

しかし、その瞬間――。

男の身体は、自らの意思を完全に置き去りにして、弾丸のような猛スピードで前転するように飛び出した。

「な……っ!?」

あまりの速度に、男は目を見張った。足を軽く前に出しただけなのに、風景が凄まじい勢いで後ろへと流れていく。足が勝手に猛烈なピッチで地を蹴り、止まることができない。ブレーキをかけようにも、慣性が強すぎて制御が効かなかった。

前方に、ほんの三十センチほどの小さな亀裂が見えた。

普段なら足を止めて慎重に跨ぐはずの亀裂だったが、今の速度では止まれない。男は咄嗟に、亀裂を飛び越えようと軽く地面を蹴った。

その刹那、男の身体はロケットのように垂直上方へと跳ね上がった。

凄まじい跳躍力だった。頭上の岩肌、天井近くの高さまで、男の身体は一瞬で打ち上げられた。浮遊感の中、男の視界に洞窟の全景がパノラマのように広がった。

そして、男の頭の中で、張り詰めていた思考の糸が音を立てて千切れた。

信じられないほどの敏捷性と、圧倒的な跳躍力。
身体機能のすべてが十倍に強化されている。

――だが。

男の脳裏に、冷徹で残酷な世界のルールが蘇った。

自分の身長以上の高さから落ちれば、死ぬ。

薬が強化したのは、運動能力だけだった。この身体の「耐久力」は、何ひとつ変わっていないのだ。

空中で静止した男の身体が、重力に従ってゆっくりと下降を始めた。

下には、遥か彼方に位置する硬い岩の床が、口を開けて待っていた。それは普段の男であれば、絶対に足を踏み入れることのない、絶対的な死の高度だった。

男は、無力に宙を掻いた。

どれほど速く走れても止まることはできず、どれほど高く跳べても着地した瞬間に砕け散る。
この強化された肉体は、冒険者を助けるための恵みなどではなかった。ただ効率よく、かつ確実に自らを破壊へと導くための、悪魔の罠だったのだ。

地面が急速に迫ってくる。

男の意識が途切れる直前、洞窟の冷たい闇の奥から、自らの愚行を嘲笑うかのような、あの間抜けで陽気なファンファーレが響き渡った。

(終)


ゲーム連作短編小説『死にゲーのエピタフ』シリーズをまとめたマガジンです。是非、読みに来てください。


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