SF短編小説『恥の多いロボ失格』
警察の捜査官であるエフ氏は、双眼鏡越しにその奇妙な物体を観察し、深いため息をついた。
街のメインストリートを、着流し姿の男たちがうつむき加減で歩いている。青白い顔に、どこか虚無的な瞳。どう見ても、昭和の文豪・太宰治であった。しかし、その動きはぎこちなく、関節からは微かなモーター音が漏れている。足音もどこかおかしい。舗道を踏むたびに、ほんの少しだけ遅れてくる。まるで、悲しみが歩くことを躊躇させているかのように。
事の始まりは、警察に届いた一通の犯行声明だった。
『私は太宰治である。私の分身たる自動歩行ロボットを街に放った。彼らの腹の中には、私の鬱屈した情念……すなわち爆発物が詰まっているかもしれない。せいぜい気をつけてくれたまえ』
便箋に万年筆で書かれた文面は、それ自体がひどく様になっていた。エフ氏は鑑識の報告を待ちながら、その紙を何度か眺めた。太宰治を名乗る別人の愉快犯の仕業に違いなかったが、万が一ということがある。エフ氏をはじめとする警察官たちは遠巻きにロボットを包囲し、市民の避難誘導にあたっていた。
ロボットたちは街をあてもなく彷徨いながら、内蔵スピーカーから定期的に音声を流している。
「生まれて、すみません……ピーッ」
「ああ、人間は、お互いになにもわからない……ウィーン」
「恥の多い生涯を送って来ました……ガシャン、ガシャン」
通行人の多くは足を止めて眺め、スマートフォンを向け、そしてすぐに関心を失って立ち去った。奇妙なものへの慣れが、現代人をひどく要領よくしていた。
そんな物騒なロボットの群れを、熱心に追いかけている数人の男女がいた。彼らは危険を顧みず、ロボットの写真を撮ったり、うっとりとした表情でその呟きに耳を傾けたりしている。
エフ氏は目を細めた。犯人が群衆に紛れて自分の「作品」を鑑賞しているというケースはよくある。エフ氏は部下を連れ、その男女のグループに歩み寄った。
「君たち、危険だ。離れなさい。……いや、その前に少し話を聞かせてもらおうか」
エフ氏は鋭い視線で彼らを尋問した。しかし、彼らの口から出てくるのは、犯行の自白ではなく、熱烈な文学語りばかりだった。
「刑事さん、見てくださいよあの猫背! 『人間失格』の葉蔵がそのまま抜け出してきたような、見事な哀愁じゃありませんか!」
「ええ、あの『生まれて、すみません』のタイミングも絶妙ですわ。二十世紀の退廃と、現代のテクノロジーが見事に融合しています!」
「むしろ爆発して散ることこそが、究極のデカダンス……!」
エフ氏は頭痛がしてきた。カマをかけても、設計図や爆発物についての知識は一切持ち合わせていなかった。彼らのことを調べてみると自称・最後の太宰主義者を名乗る過激派サークルの人間たちだった。エフ氏の隣では、部下が無表情のままメモを取るのをやめていた。
「……一部の行き過ぎた太宰原理主義者か。放っておけ、だが絶対に近づけさせるな」
エフ氏はそう言い捨てて、双眼鏡を戻した。ロボットたちは相変わらず、街の中を漂っていた。一体が電柱に正面からぶつかり、「つらい……ウィーン」と呟いてから向きを変えた。それを見て、ファンの一人が感動で声を詰まらせていた。
その時、街をさまよっていた複数の太宰ロボットたちが、急に歩く方向を揃えた。まるで示し合わせたように、一糸乱れず。彼らは街の端を流れる、水量の多い大きな川へと向かって一直線に進み始めたのである。
「待て、斜陽が……いや、夕陽が沈む。私は行かねばならない……ガシャン」
川沿いの遊歩道を歩いていた市民たちが、ぎょっとして道を開けた。ロボットたちは誰も見ていないかのように、ただまっすぐに進んだ。その背中には、着流しの裾が夕風に揺れていた。
彼らは川岸の柵を乗り越えると、次々と水面へ向かって身を投じた。ドボン、ドボンと水柱が上がる。最後の一体は、しばらく柵の前で立ち止まった。「生まれて……」と呟き、それきり黙ってから、静かに落ちた。
警察官たちは一瞬慌てたが、すぐに安堵の空気が広がった。
「警部、自ら入水してくれました! これなら回路がショートして、爆発の危険はなくなります!」
「手間が省けたな。やはり、太宰の模倣という設定を忠実に守りすぎたのだろう」
エフ氏も肩の荷を下ろした。ロボットの身でありながら入水自殺を図るとは、ひどく皮肉なプログラムである。川面には着流しの切れ端が数枚、ゆっくりと流れていった。
だが、エフ氏の隣でその光景を見ていたファンの一人が、ふと呟いた。
「……違いますよ、刑事さん。太宰先生は最後まで、一人では終われなかった。だから私たちも――」
そう言うと、ファンたちは一斉に着ていたコートを脱ぎ捨てた。彼らの胸元には、複雑な配線と、赤く点滅する巨大なタイマーが取り付けられていた。数字は、静かに減っていた。
「私こそが、先生のお供を……!」
「いや、私こそが……!」
彼らは恍惚とした表情で、太宰ロボットたちが沈んだ川に向かって、次々とダイブしていった。その顔は、長年の夢が叶う者の顔だった。
エフ氏が「伏せろ!」と叫んだ数秒後。
川底から、見事なまでの巨大な水柱と、鼓膜を破るような轟音が立ち上った。
飛沫が遊歩道まで降り注ぎ、川沿いの桜の木を濡らした。エフ氏は水たまりの中で顔を上げ、煙の立ち込める川面を眺めた。
着流しの切れ端は、もうどこにも見えなかった。
(終)
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まどろみディストピア
日常のすぐ隣に潜む不条理と静かな狂気を描く1話完結型の短編小説シリーズです。気づかないうちにディストピアへと足を踏み入れている、心地よくも恐ろしい読書体験を提供します。
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