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鍵盤に、両手を置いてみる。低い音は左、高い音は右。音の高さが、そのまま左から右へ、並んでいます。まだ、音は出さなくていい。ただ、その並びの上に手が乗っている。それだけ、味わってみる。

ピアノをやってみようか、と思ったとき、横から声がすることがあります。——別に、ピアノじゃなくてもよくない? 歌でも、ギターでも。

もっともな問いです。「これは、ピアノにしかできない」と、一つだけ取り出すのは、なかなかむずかしい。

長い音を、途中でふくらませたり、色を変えたりするのは、ヴァイオリンのほうがずっと得意です。音をどこまでも伸ばすなら、パイプオルガンにはかなわない。一つひとつの仕事で見れば、ピアノより向いている楽器は、いくらでもあります。

だから、これから書くのは、「ピアノがえらい」という話じゃありません。ピアノが、からだに何をするのか。その話です。


足裏足先が、手のひら指先になった

ルワンダで、わたしは、大地を踏み鳴らしていました。土を蹴ると、その振動が足から、体をのぼってくる。足の裏が、地面の重さを——地球の重力を、つかまえている。踊っているうちに、重心がだんだん、定まっていく。

日本にかえって、その足が、そのまま鍵盤にふれる指になりました。足で覚えた重力に腕の重みを乗せて、鍵盤へ落とす。踏んでいた地面が、鍵盤に変わっただけ、みたいに。

これは、ただの感覚の話じゃないんです。体には、ちゃんと、順番と仕組みがあります。

赤ちゃんは、指を器用に動かすより先に、寝返りを打って、立ち上がる。体ぜんぶの大きな動きが先で、指先の細かさは、いちばん最後に、その上へ乗ってくる。指は、からだの、いちばん新しい先っぽです。

ピアノの音の力も、指だけで出しているんじゃない。床を踏んだ足、椅子に当たったお尻の骨、そこから背中、腕を通って、最後に指へ。床から指の先まで、鎖のようにつながっている。土台が地面をつかんでいるほど、鎖の先は力を抜いて、重みだけを、すとんと落とせる。

拍も、耳だけで取るんじゃありません。足で地面を踏むと、その揺れが、そのまま、からだに拍として刻まれる。リズムは、耳より先に、からだで決まっている。

だから——ルワンダで足が覚えた重力と拍が、床から指までの鎖をのぼって、鍵盤に届く。踏んでいた地面が、鍵盤に変わっただけ。ここまでは、体の仕組みとして、分かっていること。その先、地面と鍵盤が一本につながっていたことは、理屈じゃなくて、わたしの体が、知っていました。

そして、十本の指。そこに、村で鳴らしていたリズムが乗る。色とりどりのハーモニーやメロディが乗る。一つひとつの音の、明るさや翳りまで。踊っていた体ぜんぶが、この十本の指に集まってくる。

さっき、一つひとつの仕事なら、ほかの楽器のほうが向いている、と書きました。それでも、リズムも、色も、音色も、いっぺんに鳴らせるのは、ピアノだけ。——あの夜を、鍵盤の上に、連れてこられる。今日のわたしと、混ぜながら。

中央アフリカ・ルワンダの元狩猟採集民トゥワ村にて。


一人なのに、輪の中にいる

「ピアノ1台で、オーケストラ」——よく、言われます。でも、すごいのは、その豪華さじゃない。

ルワンダで踊っていた、あの夜。輪を、まわしている人は、いませんでした。上手い人が集まった合奏でもない。それでも、いくつもの足と、いくつもの声が重なって、いつのまにか、輪になる。ひとりの音は、となりの誰かに、生かされていました。

考えてみれば、これはルワンダだけの話じゃありません。人は、言葉をちゃんと持つより前から、火を囲んで手を打ち、声を合わせてきました。上手に聴かせるためじゃなく、「わたしたちは、ひとつだ」と、からだで確かめるために。——毛づくろいのかわりに、歌っていたのかもしれません。

その輪を——ピアノは、一人でも、呼び戻せます。右手が、左手の拍を待つ。左手が、右手のメロディを支える。一人で弾くとき、あなたの中では、二人が合わせている。しかも、誰かと合わせるのと、同じ脳の働きで。だから、みんながそこにいると思って、あの夜を、思い浮かべながら弾ける。


待たずに、その日から


もう一つあります。ピアノは、初日から音が鳴ります。

多くの楽器は、まともな音を一つ出すだけで、何ヶ月もかかる。ピアノは、押せば、もう鳴る。だから、上手くなるのを待たずに、その日から、音楽そのものに入っていけます。

どこかの音を、ひとつ。それだけで、もう音楽は始まっている。指が回るようになってから、曲が弾けるようになってから——そういう「準備が終わってから」を、待たなくていい。今日のあなたのままで、もう、中に入れる。

歌でも、ヴァイオリンでも、いつからでも始められます。でも、初日から、こんなに広い音の中へ飛び込める楽器は、そう多くありません。

4歳の誕生日のプレゼントは、アップライトピアノでした。わたしにも、あの音が出せるの?——そう思って鍵盤を押したときの、あのトキメキを、今も覚えています。


完結できるのに、閉じこもらない

おかしなことに、ピアノは、たった一人で音楽を完結できてしまう。だから、閉じこもろうと思えば、いくらでも閉じこもれる楽器です。

一人で弾くときも、右手と左手は、拍を渡し合っています。でも、その拍は、ぜんぶ自分の中の話。走っても、もたついても、気づいて直すのは、自分だけ。

でも、誰かと一緒に鳴らすと、自分ではどうにもできない拍が、入ってきます。次はこう来る、と待っている。その予想を、ほんの少し、裏切られる。また合って、また裏切られる。おかしなもので、ぴったり合うより、その小さな裏切りのほうが、気持ちいい。ぴったり揃えるためじゃないんです。ズレたまま、一緒にいられる。それが分かると、力が、ふっとぬける。

しかも、一人では出てこない自分が、出てきます。隣の音につられて、思ってもみなかった弾き方をしてしまう。相手がいるから、知らない自分に会える。

「わたしは、ここにいる」が、いつのまにか「わたしは、ここにいる、あなたはそこにいる、わたしたちはここにいる」に変わっている。同じ音のなかに一緒に浸っていると、それが、からだで分かる。

一人でも、あの夜には近づけます。聴いてくれる人のために、誰かのために弾けば、もっと近づく。——でも、ほんとうに人がそこにいる夜は、一台だけじゃ、つくれません。だからmusicandでは、一人で弾く時間と、人と音を交わす場(ピアノコミュニティ・piano pod)を、行き交えるようにしています。


だから、ピアノ

効率よく、正しい答えを出すための、便利な箱じゃない。

自分のなかの、整理できていないものも、今日の浅い呼吸も、不器用なままの手も。どれも切り捨てずに、ひとつのからだで抱えて、音にして、外へ出す。

音にして外へ出すというのは、今日の自分を、そのまま誰かに渡すことでもあります。うまく言えない気持ちを、おすそ分けするみたいに。人が、火を囲んでいた頃からずっと手放さなかったのは、上手な音のほうじゃない。誰かと音を分け合うこと、そのものでした。それはたぶん、生きることと、ほとんど同じ意味だった。

あの夜を呼び戻せて、初日から鳴って、一人でも、誰かとでも、音にできる。その全部が、結局、ひとつのことのためにある。——頭が出す「正しい答え」じゃなくて、からだが出す「わたしは、ここにいる」。その手ごたえを、たしかめ続けるため。

4歳で鍵盤を押したときの、あのトキメキ。ずいぶん経って、もう一度、もどってきました。ルワンダの村で、からだが、いちどまっさらになったあと。日本にかえって、ピアノにさわったら——ああ、これが、わたしの音なんだ、と。安心、というより、ただいま。

自分の音に「ただいま」って言える場所を、今日から、たった一台で、差し出してくれる。

だから、ピアノ。


ここまでは、ピアノという楽器の話でした。でも、その楽器に、たった一人で向かうのは、やっぱり少し、心細い。次は、なぜ、誰かと一対一で習うのか。その話を書きます。

福田ゆみ|musicand

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まず一人で、自分の音を確かめてみたい人へ。上手い下手も、「こうあるべき」も、いったん下ろして、まっさらなところへ戻る。それが「Day0」です。

自分に戻るDay0 スパイス調合ノート #0


このnoteの収益の一部は、ルワンダの学校「Faith Foundation Academy」、幼稚園「Arc En Ciel」、シングルマザーを支援する「KISEKI」、そして日本赤十字社を通じて、支援が必要な国内外の子どもたちへ届いています。 読んでくださること自体が、輪の一部です。


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福田ゆみ|musicand 京都市上京区・出町柳 ピアノ&英語リトミック 「一行カオスちょっと好き」「1ミリ楽になったかも」と感じたら、その気持ちのかけらをチップとしてルワンダの子どもたちと場づくりに飛ばしてもらえたらうれしいです。