なぜ、1対1で習うの

新しい部屋のドアの前で、少し肩に力が入る。息が浅くなる。中で弾いたら、また「違う、そこ」とやられるんじゃないか。それなら、一人で動画を見てピアノを弾いていた方がマシかもしれない。——そう思ったこと、ありませんか。
わたしにも、覚えがあります。大学のころ、「1位を取らなきゃ意味がない」と言われ続けて、ある朝、校門の前で足が動かなくなった。——その顛末は、最初の回に書きました。だから、あのドアの前の身構えが、他人ごとに思えないんです
弾き方だけなら、いまは動画でもアプリでも教われます。正解は、もう手のなかにある。それでも、わざわざ人のところへ、一対一で通うのは、なぜなのか。
弾く技術は、教えるのは当たり前のこと。上達もします。そのためにわたしも、弾く技術も、教える技術も、脳や発達のことも、ずっと学び続けています。ただ、音楽は、技術のもっと奥まで届いてしまう。言葉や理屈の手前、生まれたときからの体の芯まで、まっすぐ入る。だから、そこに隣で、どんな音を返す人がいるかで、変わってしまうんです。
今日のあなたに、合わせる
大人になってから来てくれる方がいます。もう歳だから、ピアノは脳トレにいいと思って来る方。新しい挑戦をしてみたくて来る方。画面じゃなく、リアルな場所が必要かな、と思って来る方。オンラインで会う方もいます。
たいてい最初は、少し身構えています。ちゃんと弾かなきゃ、まちがえたら恥ずかしい。その硬さは、画面越しでも伝わってきます。
だから、いきなり弾き方の話はしません。まず、ピアノや歌に合わせて一緒に呼吸をして、肩や背中をほどいていく。理屈はそのあとです。体がゆるんでから鳴らした音は、さっきと変わる。ご本人が、いちばん驚きます。
これは音楽療法で「同質の原理(ISO)」と呼ばれる、古くからある考え方です。まず相手の今のテンポや気分に、音楽のほうを合わせる。合ったところから、少しずつ動いていく。動画やアプリは、こちらが疲れていても同じ速さで進みます。人が、機械のペースに合わせることになる。1対1は、その逆です。音楽が、あなたについてくる。
動画やアプリは、指が合っているかは教えてくれます。でも、あなたの肩に入った力までは、見ない。今日のあなたを見て「今の体の使い方、こうだったよ」と言えるのは、向こうに人がいるときだけです。オンラインでも、それはできる。要るのは近さではなく、あなたを見ている人です。
しばらく通ったその方が、こう言いました。「弾けるようにと思って来たのに、いつのまにか、自分の体と向き合う時間になってます」。別の方は「ピアノと出会い直した気がする」と。

「なぜ、できないの」を言わない
わたしたちは普段、ずっと問われ続けています。なぜできない、なぜ遅い、なぜ。その問いが、人を縮ませる。体を身構えさせて、息を止めさせる。1対1の部屋では、その問いを、しまっておけます。
間違えても、「間違えた」とは言いません。もう少しこうしたら、弾きやすいかもと考える前にいつも、今の音を聴かせてくれてありがとう、と思っている。この方の、この日の音は、世界にひとつしかない。毎回、ほんとうに感激してしまう。まずその音を受け取ってから、この方がどう弾きたいのか、この曲とどう遊びたいのかを、一緒に考えます。
わたしがあのとき固まってしまったのも、たぶん、偶然じゃありません。能力を点数でほめられ続けると、人はかえって、失敗を怖がって、挑戦しなくなる。心理学では、よく知られた話です。
おもしろい調査があります。ピアノの生徒500人あまりに「先生に何を求めるか」を聞いたら、いちばん多かったのは、音楽の技術じゃなくて、優しさや、緊張のない空気だった。教える側は「まず音楽のスキル」と答えたのに、生徒の答えは、そこじゃなかった。人は、正しく直されたことより、安心して一緒にいられた時間のほうを、長く覚えているのかもしれません。
だから、ピアノの前では、弾く話ばかりにはなりません。好きな人ができたこと、学校がしんどいこと、会社でのコミュニケーションがうまくいかないこと、これからどうするか。ピアノの先生は、親にも、学校や会社の人にも、友だちや家族にも言えないことを、なぜか話せる相手になることがある。それでいい、と思っています。評価の刃が飛んでこないと分かると、人はやっとゆるむ。この安心は、大勢の中では、なかなか作れません。
生まれたときから、体の中にある拍
わたしがその奥でさわろうとしているのは、その方が生まれたときから持っている拍です。
歩いていたら、いつのまにか足がリズムに乗る。赤んぼうだって、来るはずの拍が来ないと、はっと気づく。上手い下手を知るずっと前から、拍はもう、体の中にある。大人の奥にも、子どもの奥にも、同じようにある。ただ、こわばりの下で、眠っていることが多いだけです。
録音された音は、どれだけ美しくても一ミリも狂いません。完璧だけれど、こちらの都合は聞いてくれない。目の前で鳴る生の音は、毎回ちがう。その日の指、その日の気分で、揺れる。生の音をやりとりしていると、二人の呼吸や拍が、知らないうちにそろっていく、と言われています。できあがった音を受け取るのではなく、いま、二人で音楽を生み出していく。眠っていた拍が、また動き出す。わたしが教えたのではなく、もとからあったものが、目を覚ますだけです。

ピアノだけを、教えているのではない
言葉づかいの荒い子がいました。わたしにも「お前」「あんた」と言う。その言い方は私好きじゃない、とはっきり返しました。甘くはしない。でも、放ってもおかない。絵を描く子だったので、その絵で物語をつくって、ままごとみたいにピアノを始めた。そのうち「そんなことしてくれて、ありがとうね。感謝してる」なんて、相手を思いやる言葉が、出てくるようになった。絵の中の、自分だけの世界にいた子が、少しずつ、外の誰かに、目を向けはじめた。
学校に行かない、と決めた子もいました。もう何年も行っていない。ある日、ぽつりと話してくれた。——漢字が、分からんから。それがはずかしくて、行けへんのや、と。
それならと、レッスンのなかで、いっしょに漢検の勉強を始めました。ピアノを弾くと、なぜだか、漢字がよく頭に入る。机を並べて、間違えて、笑って。半分は、遊びみたいなものです。
しばらくして、その子が、自分から言いました。「来週、ちょっと行ってみるわ」。——わたしが背中を押したんじゃありません。その子がはずかしいと思うことを、はずかしいまま置いておける場所が、ここにはあった。それだけだと思います。
ピアノの腕の話じゃ、ないんです。2021年に始めて、最初から来てくれている子たちは、もう中学生。あのころ色んな話をしてくれた子と、いまは楽譜を見て、想像をふくらませて、「こんなふうに弾きたいな」「ここのフォルテは、心の中で溜め込んでおくフォルテかな」なんて、音楽の話をしています。

鳴る前から
1対1でいちばん大事なのは、音を出しているときより、音を出していない時間かもしれません。
最初の回に、音楽は鳴る前から始まっている、と書きました。鍵盤に手を置く前のひと呼吸、次の音を待つあいだ。まだ音になっていないその時間から、音楽はもう始まっている。鳴った音は、どこででも聴けます。でも、その鳴る前に隣にいてくれるのは、そこに人がいるときだけです。

となりに、一人
正解なら、もう手のなかにあります。弾き方は、動画やアプリが教えてくれる。
でも、今日のあなたに音楽を合わせて、眠っている拍を一緒に起こす。落ちても、ため息をつかずに、となりにいる。それは、大勢の中でも、機械の中でも、起きにくい。あなたを見ている人が、となりにいるときだけ、立ち上がります。
1対1がすべてではありません。大勢で声を重ねたときにしか出てこない、身体ごとほどける安心もあります。だからmusicandでは、一対一の時間と、みんなで音を交わす場(ピアノコミュニティ/piano pod)を、行き来できるようにしています。
測られることの増えていく時代に、点をつけられずにいていい時間を、一度でも体で知っていること。それが、これから先を生きる、静かな支えになると思っています。
あなたの音を、ただ受け取る人が、となりに一人。それが、1対1で習うということなんだと思います。
ここまでで、ピアノという楽器と、一対一という時間の話をしてきました。 では、なぜ、弾くのか。上手くなるためでも、聴かせるためでもないのなら、人は、なんのために音を出すのか。 次は、その話を書きます。
福田ゆみ|musicand
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大人になってから、はじめてピアノにさわる方も、何十年ぶりの方も。まず一人で、自分の音を確かめてみたい人へ。上手い下手も、「こうあるべき」も、いったん下ろして、まっさらなところへ戻る。それが「Day0」です。
このnoteの収益の一部は、ルワンダの学校「Faith Foundation Academy」、幼稚園「Arc En Ciel」、シングルマザーを支援する「KISEKI」、そして日本赤十字社を通じて、支援が必要な国内外の子どもたちへ届いています。 読んでくださること自体が、輪の一部です。
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