【夫婦関係 恋愛】 女の「察して」は、そんなに難しいのか
「それくらい、察してよ」
夫婦の間では、よく出てくる言葉である。
妻からすると、
「どうして、こんなことも分からないの」
となる。
夫からすると、
「言ってくれなきゃ分からないよ」
となる。
どちらの言い分も、よく分かる。
男にとって「察する」というのは、ちょっとした推理ゲームなのだと思う。
妻が不機嫌である。
さて、なぜだろう。
昨日、何か言っただろうか。
今日、何か忘れただろうか。
仕事で嫌なことがあったのだろうか。
いくつかの情報を集めて、正解を推理する。
そして外す。
すると、
「ほんと、カンが悪いんだから」
と言われる。
いやいや。
情報も与えずに正解を当てろという方が無理だろう。
男としては、そう言いたくなる。
妻は、本当に夫に難しい推理をさせたいのだろうか。
疲れた顔をしている。
いつもより口数が少ない。
朝から忙しそうにしている。
何日か前から、同じことで困っている。
妻からすると、
「見ていれば分かるでしょう」
なのではないか。
「察してほしい」は、
「私の心の中を推理してほしい」
ではない。
「普段から私を見ていてほしい」
なのかもしれない。
こう考えると、
普段から妻を見ていない
男がいくら頭を使っても、
なかなか正解しない理由も分かる。
妻は、夫に考えてほしいのではない。
妻を、いつも見ていてほしいのである。
以前、
「人は、ほめられたいのではない。見てもらいたい。」
という記事を書いた。
そのときは、
「髪型変えた?」
という一言がなぜうれしいのかを考えた。
「きれいだね」という評価よりも、
「変化に気づいた」ということの方がうれしい。
つまり、ほめてほしいというより、
見てもらいたいのではないか、という話だった。
今回、「察してほしい」について突き詰めて考えてみたのだが、
同じところに戻ってくることが分かった。
「ほめてほしい」も、
「察してほしい」も、
表面上はまったく違う要求に見える。
でも、その奥にあるのは、
案外、同じものなのかもしれない。
私を、ちゃんと見ていてほしい。
男が苦手なのは、
「察すること」ではなく、
もしかすると、こちらなのかもしれない。
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