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LIRE CINÉMA #02「毒親」という言葉だけでは、語れないものがある。──『ヒルビリー・エレジー』が描いた、未来という選択肢。

「毒親」という言葉の広がり。



近年、「毒親」という言葉を耳にする機会が本当に増えた。
ここ数日、SNSを開けば、その議論を目にしない日はなかった。

文学でも、映画でも、SNSでも。

親子関係を語るとき、私たちはいつしか、この一言で関係性を説明できるようになった。

もちろん、その言葉に救われる人もいる。

親子であっても距離を置いていい。
逃げてもいい。

そう思える人が増えたこと自体は、とても大きな意味があると思う。

けれど、その一方で私はずっと気になっていた。

人は、生まれ育った環境に人生を決められてしまうのだろうか。

Netflix映画『ヒルビリー・エレジー』は、その問いに対して、一つの答えを提示してくれた作品だった。

生まれる環境を、人は選べない。


2020年Netflixオリジナル作品。

J・D・ヴァンスによる回顧録
『ヒルビリー・エレジー』を原作とした本作は、ロン・ハワードが監督を務め、エイミー・アダムス、グレン・クローズが出演している。

主人公J.D.ヴァンスは、名門イェール大学に通う学生。

大切な就職面接を目前に控えたある日、薬物依存に苦しむ母のもとへ帰郷することになる。

物語は、現在と幼少期を行き来しながら進んでいく。

シングルマザーである母は、交際相手が変わるたびに生活も精神状態も大きく揺れ動き、薬物依存からも抜け出せない。

姉とともに振り回されながら育ったJ.D.は、反抗期を迎え、少しずつ人生の道を踏み外しかける。

そんな彼を引き止めたのが、近所に暮らす祖母だった。

祖母との生活をきっかけに、彼は少しずつ自分の人生を取り戻していく。

そして物語は、イェール大学へ進学した現在へと繋がっていく。

「生まれた環境は人生を左右する。でも、それだけでは決まらない。」

この作品を観て、私の中に真っ先に浮かんだ言葉だった。

祖父母と母、私の三世代で暮らしながら、母子家庭で育った私には、このテーマが痛いほど刺さった。

私自身、J.D.ほど優秀ではない。

けれど、母や祖父母に支えられ、大学を卒業し、社会人になった。

もし母の教えに背き、祖父母の言葉を聞き流していたら。

今とは違う人生を歩んでいたのかもしれない、と時々思う。

もちろん、見る視点によってはいまが誤っていないとも言い切れないし、だからといって、いまを「道を誤っている」と思いたくはないけれど。

それでも、生まれ育った環境が人生に大きな影響を与えることだけは、否定できないと思う。

「毒親」という言葉だけでは語れないもの


今回この作品を紹介するにあたって、避けて通れない言葉がある。

「毒親」という言葉。

この言葉は、アメリカの心理療法家スーザン・フォワードによって提唱された概念で、今では日本でも広く浸透している。(※学術用語ではない。)

親が子どもに精神的・身体的な悪影響を与える関係性を指す言葉として、多くの文学作品や映像作品でも扱われるようになった。

親が絶対だった時代から、子どももまた一人の人間として権利を持ち、自分の人生を主張できる時代へ。

そんな価値観の変化とともに、「親子である前に、一人の人間である」という考え方が少しずつ社会に浸透してきたのだと思う。

近年、このテーマを扱った作品も本当に増えた。

例えば、『アイ・トーニャ 史上最大のスキャンダル』。

マーゴット・ロビー演じるフィギュアスケーター、トーニャ・ハーディングの半生を描いた実話をもとにした作品だ。

スケーターとしての天性の才能を持ち合わせていることに起因する苦悩もさることながら、アリソン・ジャネイ演じる母ラヴォナの存在は作中で圧倒的だった。

愛情と支配は、ときに紙一重なのだと思い知らされる。

『ジュディ 虹の彼方に』を観たときにも同じ感想を抱いた。

『オズの魔法使い』で一躍スターとなったジュディ・ガーランドを描いた本作。

幼い頃から母親によって過酷なダイエットや睡眠不足を強いられ、アンフェタミンを与えられながら女優として働き続けたジュディ・ガーランド。

子どもの頃に植え付けられた価値観や傷は、大人になっても簡単には消えない。

邦画で言えば、長澤まさみ主演の『MOTHER』も記憶に新しい。

酒とギャンブル、男に溺れる母。

そんな母のもと、教育も十分に受けられず、暴力と罵倒の中で育つ息子。

それでも彼は母親を見捨てられない。

彼の母への思いは愛情なのか、依存なのか、それとも幼い頃から刷り込まれた価値観なのか。

観終わったあとも、その答えは出なかった。

ピエール・ブルデューの「文化資本」と、受け継がれるもの


こうした作品を見るたびに思い出すのが、社会学者ピエール・ブルデューの「文化資本」という考え方だ。

子どもが親から受け継ぐのは、お金だけではない。

教養や趣味、言葉遣い、価値観、ものの見方。

そうした目に見えない資産までも、世代を越えて受け継がれていくという考え方である。
※ピエール・ブルデュー著『遺産相続者たち――学生と文化』を参照

この理論を知ったとき、私は少しだけ絶望した。

もし環境がそこまで人生を左右するのだとしたら。

生まれたその瞬間に、ある程度人生は決まってしまうのではないか、と。

だからこそ、『ヒルビリー・エレジー』は私にとって特別な作品になった。

一見すると、この作品もまた「毒親」を描いた物語に見える。

薬物依存から抜け出せない母。

男に振り回される生活。

子どもへ向けられる暴言や暴力。

ここだけを切り取れば、先ほど挙げた作品たちと大きな違いはない。

けれど、この作品はそこで終わらない。

そこが、決定的に違うのだ。

『ヒルビリー・エレジー』が描いたのは、「過去」ではなく「未来」だった。


エイミー・アダムス演じる母親は、これまで挙げてきた作品に登場する親たちと同じように、決して"理想の母親"ではない。

辛い出来事が起こるたび薬物へ逃げ、交際相手は次々と変わり、禁断症状から子どもたちに感情をぶつけてしまう。

そんな環境で育ったJ.D.に対して、祖母は何度もこう言い続ける。

You gotta take care of business, go to school, get good grades to even have a chance.

「やるべきことをやりなさい。学校へ行って、いい成績を取るんだ。そうして初めて、チャンスが生まれる。」

映画『ヒルビリー・エレジー』より

反抗期のJ.D.には、その言葉はなかなか届かなかった。

それでも祖母は言い続けた。

そして彼は少しずつ変わっていく。

イェール大学へ進学し、自分の人生を自分で切り開いていく。

作品の終盤。

幼少期を振り返ったJ.D.は、「祖母には二度救われた」と語る。

その中でも、私が何度観ても胸を打たれる言葉がある。

Where we come from is who we are, but we choose every day who we become.

生まれは、今の自分をつくる。けれど、これからどんな人間になるかは、毎日自分で選ぶことができる。

映画『ヒルビリー・エレジー』より

続けて彼はこう語る。

My family's not perfect, but they made me who I am and gave me chances that they never had.

私の家族は決して完璧じゃない。でも、その家族が今の私をつくり、自分たちが得られなかったチャンスを私に与えてくれた。

映画『ヒルビリー・エレジー』より

ここで初めて、この作品は「毒親」の物語ではなくなる。

過去を責め続ける物語でもない。

環境に支配され続ける物語でもない。

受け継いだものを認めた上で、その先に何を残していくのかを描いた物語なのだ。

私は、先に挙げた通り、これまで「毒親」を扱った作品をたくさん観てきた。

どれも素晴らしい作品だった。

でも、その多くは、過去の傷やトラウマと向き合う物語だったように思う。

もちろん、それはとても大切なこと。

けれど、『ヒルビリー・エレジー』は少し違う。

この作品は、「これから」を見ている。

過去から受け継いだものを否定するのではなく、それを抱えたまま、次の世代へ何を渡せるのかを問いかけてくる。

そこに私は、この作品ならではの希望を感じた。


どんな環境に生まれるかは選べない。

どんな親のもとで育つかも選べない。

でも、時間は未来にしか進まない。

どれだけ過去をやり直したいと思っても、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアンは現実には存在しない。

だからこそ、私たちにできることは一つしかない。

今日という一日を、どう生きるか。

そして、自分が受け取れなかったものではなく、自分が誰かへ渡せるものは何かを考えること。

この記事を書くきっかけになったのは、『みいちゃんと山田さん』をめぐるSNS上の議論だった。

「毒親」という言葉が飛び交うたび、私が思い出すのは、この映画だ。

人は、自分の意志だけでは生きられない。

家族も、
学校も、
社会も、
偶然出会った誰かも、

私たちは数え切れないほど他者の影響を受けながら生きている。

だからこそ、自分の意志を失ってしまえば、
人生は簡単に誰かのものになってしまう。

必要なのは、「頑張れ」という精神論ではない。

自分が生まれ育った世界だけが、世界ではないと知ること。

「ここ以外にも世界はある」と教えてくれる誰かに出会うこと。

そして、自分の人生を自分で選び直せると信じられること。

『ヒルビリー・エレジー』は、「生まれは選べない」という絶望ではなく、「それでも未来は選び直せる」という希望を描いた作品だった。


LIRE

読むとは、
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世界を読むことだ。

あなたは、この物語をどう読みますか。


この記事は LIRE CINÉMA シリーズです。

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