イブ物語|判断寓話|ファンタジー小説|猫征|第三話
馬車はゆっくりと進む。
手綱を握るワンは、少し不満げだった。
「頭、撫でていいですか?」
ニアの答えは、ダメ!だった。
そんなに無理なお願いだったか?
ワンの頭に疑問が浮かぶ。
ただ、隣に座るニアとの距離は妙に離れている。
おかしい。
朝はいい雰囲気だったはずだ。
村を救う薬を手に入れたワンに、ニアも喜んでいたのに……。
「なあ、ニアさん。なんでそんなに離れてる?」
ニアはそっぽを向いたまま答えない。
猫耳がぴくりと動いた。
聞こえていないわけではない。
話したくないらしい。
ワンはそれを察して、深くため息を吐いた。

猫から始まる世界征服 第三話
コトコトと馬の蹄の音が街道に響く。
薬を積んだ馬車は、ニアの村へ向かっていた。
「ワン……獣人に頭を撫でたいって、どういう意味かわかって言ってます?」
黙っていたニアが、ようやく口を開いた。
ワンの表情が明るくなる。
だが、言われた意味はわからない。
「えっと……綺麗な髪だから触らせてほしいというか、できればその耳も撫でてみたいというか……」
ワンを見つめるニアの顔が赤くなる。
両手で顔を押さえ、小さく呟いた。
「結婚……」
「えっ?」
「結婚しよう……」
「えっ? えっ? えっ?」
「そういう意味です……」
ワンが固まった。
ニアは猫耳を隠すようにフードへ手を伸ばし、さらに距離を取る。
この男は、出会った翌朝にプロポーズしたようである。
「違う! 違わないけど、そういう意味じゃなくて。純粋に撫でたかっただけで……」
慌てて訂正するワンを見て、ニアの顔はますます赤くなった。
「わかってます。わかってるつもりです。でも、あのタイミングだと……」
ワンはそこで初めて、自分の言葉が持つ意味を知った。
早すぎたか……。
後悔しているポイントがズレている。
だが、ブレない男である。
「ごめん」
ワンが素直に頭を下げる。
ニアはフードを深く被り、俯いた。
「……ありがとう」
その言葉にワンは少し笑うと、手綱を握り直した。
馬車は森の奥へ進んでいく。
ヒーバ大森林。
アルカン王国とマズール帝国の間に広がる、大きな森林地帯である。
奥へ進むほどモンスターや野生動物が増え、人が暮らすには適していないとされていた。
ニアの村は、その森の奥にある。
森を利用して作られた小さな村で、獣人たちは身を寄せ合うように暮らしているという。
ニアの案内で森を進んでいると、木々の向こうに小さな煙が見えた。
「もうすぐです」
ニアがそう言った直後だった。
「ニア、おかえり!」
どこからか声が聞こえる。
次の瞬間、女性の獣人が馬車へ飛び乗り、ニアに抱きついた。
「アトラ。ただいま」
ニアも笑って抱きしめ返す。
「と、そちらさんは?」
アトラは隣に座るワンを見て驚いた。
「薬を運んでくれた人。追われてた私を助けてくれたの」
ニアが説明すると、ワンは無愛想に片手を上げた。
その視線が、アトラの耳と尻尾に向く。
気づいたアトラは少し恥ずかしそうに身なりを整えた。
肩まで伸びた明るい赤い髪。
幼く見えるニアとは対照的に、大人びた美しさを持つ女性だった。
「私はアトラ。ニアを助けてくれて、ありがとう」
アトラが軽く頭を下げる。
「ああ、気にしないでくれ。俺は運命のために動いただけだ」
ワンはそっけなく返した。
「運命?」
アトラが不思議そうな顔をする。
その隣で、ニアが頬を染めながら首を振った。
「ちょっと変わってるけど、いい人よ。気にしないで」
馬車が村の入り口へ近づく。
何人かの獣人が、戻ってきたニアに向かって手を振っていた。
ワンは集まった獣人たちを遠目に見つめる。
そして、小さく呟いた。
「パラダイスだ……」
誰かに向けて言ったわけではない。
ただ、この男の脳内は重症のようだ。
「私たちの隠れ里へようこそ! 英雄さん」
アトラの声が届いているのかはわからない。
それでもワンは、今日一番の笑顔を浮かべていた。
*
村に着くと、獣人たちが馬車へ駆け寄ってきた。
アトラが指示を出すと、村人たちは荷台に積まれた薬の箱を次々と運び出していく。
その様子を眺めていたワンに、杖をついた老齢の獣人が声をかけた。
「おまえさんが、ニアを助けてくれたんだって?」
耳は垂れ、歩く足取りもおぼつかない。
だが、ワンを見る目は鋭かった。
「運命だからな」
ワンは表情を変えず答えた。
「運命……」
老人は妙に納得したように頷いた。
「では、この村のことは内密にしてくれると?」
ヒューマンの迫害から逃れてきた獣人たちの村だ。
ワンを警戒するのは当然のことだった。
「言うわけない。ニアさんを傷つける奴は、最優先で排除する」
当たり前のように答えるワンを見て、老人は笑った。
「ふぉふぉふぉ。すまない。ワシはロウ。この村の長をやっておる」
ロウは薬を運ぶ村人たちへ視線を向けた。
「ニアが届けてくれた薬で、この村もなんとかなりそうじゃ。よかったら今晩の宴会には顔を出してほしい」
ワンは小さく頷くと、再びニアたちへ視線を向けた。
「この村には何人ぐらいいるんだ?」
ロウは少し驚いた顔を浮かべた。
「三十人……なんとか逃げて来れたのは、これだけじゃ」
その声がわずかに震える。
「全員、猫耳か?」
「そうじゃ。我々は獣人の猫耳族じゃからな」
「素晴らしい」
ワンは満足そうに口元を上げた。
「村の案内はアトラにさせよう」
ロウがそう言って、アトラへ手を上げる。
「ロウ長老。何か用?」
アトラが近づいてきた。
「ワン殿に、村の案内をしてくれ」
「いいわよ。荷物もあらかた片付いたし、それに……」
アトラはワンの腕に自分の腕を絡ませた。
身体を寄せ、その耳元で囁く。
「いい男なら大歓迎」
そのままワンの腕を引く。
だが、ワンは動かなかった。
「チェンジで」
アトラが目を丸くする。
ロウも同じ顔をしていた。
「えっ? ワン殿、もう一度」
呆気に取られながら、ロウが聞き返す。
「ニアさんとチェンジでお願いします」
なぜかワンは深々と頭を下げた。
アトラは一瞬黙ったあと、吹き出した。
「ニア。ご指名よ!」
少し離れた場所にいたニアが、驚いた顔で振り返った。
アトラに耳打ちされたニアの頬が赤らむ。
「なんで私なんですか!」
少し怒ったように言うと、ワンは笑いながら答えた。
「薬のお礼ということで」
「ズルい」
そう言うとニアはワンの手を掴み歩き始めた。

後の歴史家はこの出来事を、こう評価している。
英雄ワンは運命を信じて、獣人の元を訪れた。
そして、「チェンジ」と言う言葉を使い、時代を変える宣言を行ったと。
この時、初めて英雄は聖女の手を掴んだとされる。
