イブ物語|判断寓話|ファンタジー小説|猫征|第八話
「随分、増えたわね」
アトラはそう言うと、眼下に広がる獣人たちの村を見つめた。
獣人の隠れ里が「ニイアス」と名を変えてから、三カ月以上が経過していた。
その間、ワンは奴隷商人から手に入れた情報をもとに、各地で奴隷として囚われていた獣人たちを解放していた。
彼らは鉱山や荷運び、畑仕事などの重労働や、人間が嫌がる不衛生な仕事をさせられていた。
女性の獣人たちは、さらに性的な搾取まで受けていたことを知ることになった。
傷つき、明日への希望を失っていた獣人たちにとって、ワンたちはまさに救世主だった。
そして今では、英雄と呼ばれる存在になりつつある。
「人が増えることは良いことですが、その分、問題も山積みです」
書類の束を抱えたテイルが、ため息混じりに呟いた。
その周りでは、子供の獣人たちがテイルの足や服につかまりながら遊んでいる。
その姿を見たアトラは、真剣な顔で近くにいた女性獣人へ耳打ちした。
「あれ、大丈夫なの?」
女性獣人は笑いながら答える。
「テイルさんは変わってますけど、子供たちには優しい方です。ただ……大人の尻尾を見つめる目が、時々怖いんですよね」
「紳士的な変態って……」
そう言うと、アトラはテイルのもとへ向かい、近くにいた子供たちの手を引いて一緒に遊び始めた。

猫から始まる世界征服 第八話
「ワンさん。お金が足りません」
ワンは村の広場で、新たに加わった獣人たちに戦い方を教えていた。
そこへテイルがやって来ると、何枚かの報告書をワンに見せた。
「金? ここで暮らすのに必要か?」
ワンは獣人たちの様子を見ながら答える。
テイルは頭に手をやると、小さく首を振った。
「必要です。村の中だけなら、物々交換や自給自足でも暮らせます。でも、これだけ人数が増えれば、外から物資を購入する必要も出てきます。当然、お金がかかります」
手にした書類を指差しながら、テイルはワンにもわかるように説明した。
「なるほどな。なら、どっかから調達するか?」
ワンは腰の剣に手をやり、口元を上げた。
「それも一つの手ですが、結局、出ていったお金が戻らなければ解決しません」
テイルはやれやれといった表情を浮かべる。
「この村でも、何かを売るってことか?」
「そうです。ただ、問題は買ってくれる相手がいないことです」
そう言うと、テイルは村の近くに作られた畑へ目を向けた。
獣人たちが土を耕し、野菜や果物を育てている。
「今は村の需要の方が大きいですが、そのうち余る物も出てくるでしょう。特に獣の皮や、近くの鉱山から採れる鉱石などは、うまく売ることができれば生活の改善につながります」
テイルは少し間を置いてから続けた。
「それに……ニアさんが喜ぶような品を買うにも、お金がかかりますよ?」
その一言で、ワンの目つきが変わった。
「テイル。最優先事項だ」
ワンは即座に訓練を他の獣人へ任せた。
「商人を攫って……連れて来るぞ!」
そう言うと、すぐに装備を整え始めた。
*
ヒーバ大森林を迂回するように作られた街道沿いには、いくつかの街や交易地点が点在している。
長期化するアルカン王国とマズール帝国の戦争により、前線に近い地域には多くの物資が集められ、それを扱う商人たちの活動も活発になっていた。
獣人を連れて行けば目立つと判断したワンは、森の近くに仲間たちを待機させ、単独でライカーンと呼ばれる街を訪れていた。
ライカーンはアルカン王国の領土にあり、街道を通じて食糧などを運ぶ集積地として発展している。
人の往来も多く、街への出入りも比較的容易だった。
久しぶりにヒューマンたちの街へ入ったワンは、情報を集めながら、ニイアスと交易してくれる商人を探すことにした。
街の中央にある交易所にはさまざまな商品が集められ、露天市場では呼び込みの声が飛び交っている。
ワンはニアに贈る品を物色しながら、市場を見て回っていた。
「てめぇ! なにしやがる!」
突然、怒鳴り声が響いた。
ワンが目を向けると、一人の獣人が傭兵崩れの男たちに囲まれていた。
「奴隷ごときが、俺様に文句でもあるのか?」
大声を上げて獣人を威嚇する男。その後ろでは、連れの男たちが面白そうに様子を見ている。
「私は奴隷ではありません。それに、あなたが勝手に食べたそちらの果物のお代をいただこうとしただけです」
獣人は困った様子で答えるが、周囲の通行人は見向きもしない。
「ああん? こんな不味い物が売りもんだと? 買う前に味見したが、不味くて食えたもんじゃねぇ」
そう言うと、男は手にしていたりんごを獣人へ放り投げた。
慌ててりんごを拾おうとした獣人を、別の男が足を引っかけて転ばせる。
「いてて。俺の足を踏みやがった。これじゃ戦いにも出られやしねぇ。おい、治療費をよこせ」
めちゃくちゃな理屈だった。
ワンの目が一瞬、黒く沈む。
腰の剣に手をやろうとしたところで、近くにいた男が片手を上げた。
「お兄さん方、何か問題でっか?」
訛りのある喋り方をする、恰幅の良い商人が前に出た。
頭にはターバンを巻き、この辺りでは見かけない、ゆったりとした白いローブを身にまとっている。
ずんぐりとした体つきに浅黒い肌。人当たりの良さそうな笑みを浮かべながら、男たちの間に割って入った。
「なんだ? こいつの飼い主か?」
りんごを投げた男が凄んでみせる。
「ちゃいますよ。でも、なんや揉めてるみたいやから、声かけさせてもらいました」
「部外者は引っ込んでろ」
足を押さえていた男が吐き捨てる。
「いやいや、めちゃくちゃですやん。味見言といて不味かったから買わへんなんて。そんなこと言うたら、弱かったから金払わへんのと一緒ちゃいます?」
隣で話を聞いていたワンが、思わず吹き出した。
「どういう意味だ?」
男たちは手にした槍を地面に打ちつけ、商人を睨みつける。
「うわっ。私の影が怪我してしまいました。どない責任とりますん?」
商人風の男は、わざとらしく声を上げた。
顔を赤くした男たちが詰め寄った、その直後だった。
一人の男が腹を押さえて倒れ込む。
気づけば、その腹に拳を打ち込んだ男が立ちはだかっていた。
さらに褐色肌の男たちが現れ、商人風の男を守るように傭兵たちを囲む。
「あんさん、喧嘩売る相手間違えたらあきまへんで」
そう言うと、商人風の男は傭兵の一人に耳打ちした。
みるみる顔を青くした傭兵は頭を下げると、仲間を連れて慌てて逃げ出した。
助けられた獣人は、何度も頭を下げて礼を言った。
商人風の男は片手をひらひらと振る。
「気にせんでええですよ。私、モフいいます。良かったら、うちのところで商売しまへんか?」
そう言うと、モフは獣人と話を始めた。
傍らでその様子を見ていたワンは頷くと、モフに声をかける。
「なあ、あんた。面白いな。良かったら商売の話がしたいんだが」
モフは振り返ると、にこやかな顔でワンを見つめた。
「これは、噂に名高い黒獅子の旦那。私に何の用でっか?」
思わぬ言葉に、ワンは少し面食らった。
だが、すぐに口元を上げる。
「それなら話が早い」
そう言うと、二人は市場を離れて歩き始めた。
*
ライカーンの街、郊外。
ワンはモフに案内され、彼らの野営地を訪れていた。
背の高いテントがいくつも建てられ、多くの人々が作業に追われている。
その中でも、ワンが目を止めたのは獣人の多さだった。
しかも、街で見た獣人たちとは違い、生き生きと働いている。
一緒に働くヒューマンも邪険に扱う様子はなく、互いに声を掛け合い、笑いながら働いている。
その光景を見て、ワンもわずかに頬を緩めた。
ヤークと呼ばれる生き物に荷台を引かせ、人や荷物が忙しなく行き交う様子は、モフの商人としての実力を物語っていた。
一番大きなテントに案内されると、椅子が用意され、大きな机にはさまざまな食材が並べられていた。
モフも椅子に座ると、机の上のぶどうを一つ掴んで口に運ぶ。
「すんません。朝からバタバタしとって、ご飯もまだやったもんで」
ぶどうを飲み込むと、モフは改めてワンを見る。
「改めまして、モヌキフ商会のモフいいます」
そう言うと、小さく頭を下げた。
「構わない。それで商売の話だが……」
ワンが話を続けようとすると、モフは手を前に出して制した。
「先に、お見せするものがあります。これ見てから考えてください」
モフが合図すると、テントの入り口の幕が下ろされた。
さらに外から覗かれないよう、衝立がモフとワンの周りを囲む。
警戒するワンを横目に、モフが何かを呟いた。
一瞬、モフの周りを青い光が包む。
その姿がみるみる変わっていった。
「おっ、お前、まさか……」
ワンが言葉を絞り出す。
目の前には、ずんぐりとした尻尾と茶色い耳を生やした獣人が立っていた。
「たぬき族の族長。モ・タヌキ・フです」

後に、モヌキフ商会はニイアス最大の商会へと拡大していくこととなる。
そして商会長は、尊敬と畏怖の念を込めて「タヌキ親父」と呼ばれるようになった。
