イブ物語|判断寓話|ファンタジー小説|猫征|第九話
モヌキフ商会とは、獣人のたぬき族が変体の魔法でヒューマンに姿を変えて営んでいた商会だった。
ワンが目を丸くして見つめる中、モフは再びヒューマンの姿へと変わった。
「私たちたぬき族は、みな変体の魔法が使えます」
モフが言うと、衝立を運んでいた一人も獣人の姿へ戻り、頭を下げた。
「さて、黒獅子の旦那には、お困りごとがあるとお見受けしますが、私たちにお手伝いできることはありますか?」
モフはニヤリと笑い、ワンに目配せをする。
ワンは呆気にとられながらも事態を理解すると、大笑いした。
「はっはっは。あるある。あんたにしか頼めないことが山ほどあるさ」
腹を抱えて笑うワンを、モフは満足そうな表情で眺めている。
「ほな、商談に入りましょか?」
モフの目つきが一瞬鋭くなる。
ワンも表情を戻して口を開いた。
「まずは……猫耳族の女性が気に入りそうなプレゼントは何か教えてくれ」
肩透かしを食らったモフが、目をパチパチさせる。
やはりブレない男である。

猫から始まる世界征服 第九話
「冗談はさておき、本題に入りまっせ」
ワンは冗談ではないと言いたげだったが、モフのペースで話は進んでいく。
「黒獅子の旦那は、ヒーバ大森林で何やら新しいことを始められたご様子。そこで色々と物入りなのも存じ上げております」
モフの目つきが変わる。
「そこで、まずはこちらが用意できる品です」
モフが手を上げると、テントの奥から木箱を抱えた男たちが現れ、ワンの前に並べた。
ワンが覗き込むと、そこには様々な種類の苗や植物の種が綺麗に詰められていた。
「人の数が増えたら、食いもんが必要になります。足りない分は買ってもええですが、作った方が安くつきます」
木箱から苗を取り出し、モフは続ける。
「ただし、タダでとはいきまへん。こちらも商売やってますから、なんかないとなぁ?」
もったいぶった言い方をしながら、ワンの顔色をうかがった。
ワンは苗を見つめながら呟く。
「ヒーバ大森林を安全に通過できるとしたら?」
モフの眉が上がった。
モフが手を上げると、今度は机の上に地図が広げられる。
「話が早い方で助かります」
ライカーンと書かれた街を指差したモフは、大森林を迂回する道をなぞり、そのまま帝国の国境を越えたところで指を止めた。
「そう。今、ウチの商会は王国とも帝国とも商売させてもろてます。ただ、大森林を迂回すると、その分だけ費用がかかります」
モフは再びライカーンを指差すと、そこから真っ直ぐ大森林を通過するように地図をなぞった。
「そこで、大森林を安全に通過することができれば、時間も費用も抑えられます。そして途中に補給できる中継点があれば最高ですな」
モフが指差した場所は、ニイアスの村がある付近だった。
そう言うと、モフは胸元から金色に輝くプレートを取り出し、ワンに見せた。
「自由商人の証いいまして、どちらの国にも肩入れせえへん代わりに、どちらの国とも取引してええっちゅう許可証です」
ワンも傭兵時代に聞かされていた。
どちらの国にも属さない傭兵のような商会があるという話を。
「死の商人……」
ワンが口にした言葉に、モフの顔つきが変わる。
「その呼び名はいけません。私たちには、私たちなりの道理があります」
「ヒューマンなら手を組む理由はないが、獣人なら話は別だ。すまない。昔聞いた呼び名を思い出しただけだ」
ワンが頭を下げると、モフの表情が戻る。
「で、話は戻しますが、ヒーバ大森林を安全に通過する件。お願いできますか?」
ワンはしばらく考えたあと、口を開いた。
「一つだけ条件がある」
モフの眉間に皺が寄る。
「猫耳族の女性が喜ぶプレゼントが何か教えてくれ」
モフは高笑いを上げて膝を打った。
「噂はほんまらしいですな。大森林に、獣人の聖女にのみ膝をつく黒獅子がいるって話は」
ワンは頭を掻きながら、少し口を尖らせた。
「ええですよ。これ、ウチの新商品の髪ブラシです。これでとかせば、髪はスルスルの綺麗な毛先になりまっせ」
モフは手に持ったブラシをワンに渡すと、右手を差し出した。
ワンはその手を強く握り締め、大きく頷いた。
*
モフとの商談をまとめたワンは、モフの部下数名と荷馬車に荷物を積み、翌日ニイアスへの帰路につくことにした。
日はすでに傾き、夕日が辺りを照らし始めている。
出立は明日になると考えたワンは、街の外で待機している獣人たちに使いを送り、その日はライカーンの街で宿を取ることに決めた。
モフが紹介してくれた安全な宿で、少し遅い夕食を取ろうとしていた時、食堂で騒ぎが起こる。
給仕の獣人女性に絡む兵士たちの姿が、ワンの目に入った。
「ここでは、みんなこれだ」
ワンが吐き捨てるように言い、止めに入ろうとしたところで、入り口から入ってきた女性が声を上げた。
「お前たち、所属はどこだ!」
全身を鎧で包み、赤いマントを纏ったその姿からは、身分の高さを感じさせる洗練された立ち振る舞いが見て取れた。
金色に近い長い髪を綺麗に結い、精悍な顔立ちをした女性は、給仕の手を掴んでいた兵士を睨みつけている。
そばにいた別の兵士が顔色を変え、絡んでいた兵士たちに耳打ちした。
その場にいた兵士たちはすぐに姿勢を正し、女性の前に整列する。
「ジャンス将軍に敬礼!」
一人の兵士の掛け声に合わせ、兵士たちが一斉に敬礼した。
その姿を見て、ジャンスは小さくため息をつくと、手を横に払い敬礼をやめさせた。
「いくら前線から離れているとはいえ、規律が乱れすぎだ! 部隊長に報告する。所属を答えよ」
凍りつくような視線が整列した兵士たちに向けられる。
しかし一同は俯いたまま、黙り込んでいた。
その様子を見ていた別の士官らしき兵がジャンスに近寄り、小声で何かを伝える。
それを聞いたジャンスは士官を睨みつけると、踵を返して食堂をあとにした。
張り詰めていた空気が少し緩む。
先ほどの士官が手を払い、兵士たちに外へ出るよう促していた。
ワンが物珍しそうにその光景を見つめていると、給仕が食事を運びながら声をかけてきた。
「お騒がせしました。あの兵士たちはスカム子爵の私兵です。いつも、ああやって街で好き放題してるんです」
食事の皿を並べながら、給仕は眉をひそめる。
「さっきのジャンス将軍とかいう人は?」
ワンの質問に、給仕は口元に指を当てて考えた。
「確か最近、この近くに赴任してきた軍のお偉いさんです。王国軍では珍しく、評判の良い人って噂です」
ワンは給仕の話を聞きながら、食堂を見渡した。
先ほど絡まれていた獣人の給仕は、床に散らばった割れた食器を集めている。
その姿を誰も気に留めることなく、食堂にはいつもの喧騒が戻っていた。

アルカン王国軍の公式記録には、この日の出来事は記載されていない。
ただ、スカム子爵から軍部に対して苦情が一件寄せられた記録だけは残っている。
