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帝国領・ハイデン砦
「今月だけで二十件だと!」
リスナ司令は額に青筋を浮かべ、机を強く叩いた。
会議室に集められた参謀たちは互いに顔を見合わせたものの、誰も口を開こうとはせず、そのまま気まずそうに視線を落とした。
先ほど参謀の一人が読み上げた報告を思い返しながら、リスナは苛立たしげに頭を掻きむしる。

猫から始まる世界征服 第二十話
報告書には、今月に入ってハイデン砦へ向かっていた補給部隊が、王国軍と思われる一団から相次いで襲撃を受けたことが記されていた。
問題は、その回数である。
わずか一カ月で二十件。
しかも襲撃者の中には恐ろしく腕の立つ兵士がいるらしく、護衛の数を増やしても被害は減るどころか、護衛兵の損失まで拡大していた。
現在も王国軍との間では国境線を巡る散発的な戦闘が続いており、帝国領から送られる物資は、ハイデン砦を維持するための生命線でもある。
特に深刻なのは、先の戦闘で損傷した砦を修復するために手配した資材まで届かなくなっていることだった。
城壁や施設の再建は遅れ、守備体制の立て直しにも支障が出始めている。
「なぜ、見つからん?」
リスナは目を血走らせながら、参謀たちを見回した。
しばらく沈黙が続いたあと、一人の参謀が意を決したように口を開く。
「襲撃後の逃走経路は、ヒーバ大森林へ集中しております。追跡部隊も何度か送りましたが……森へ入った部隊の多くが戻ってきておりません」
「つまり、森に熟知した部隊ということか?」
先ほどまで声を荒げていたリスナだったが、その報告を聞くと僅かに冷静さを取り戻した。
「はい。恐らく王国軍の中でも、森林戦闘に長けた特殊な部隊ではないかと考えられます」
リスナは顎に手を当て、机に広げられた地図へ視線を落とした。
ハイデン砦の北方には、広大なヒーバ大森林が広がっている。
通常の兵士が不用意に踏み込めば、道を失うだけでも致命傷になりかねない場所だった。
しばらく地図を眺めていたリスナは、何かを思いついたように顔を上げる。
「森林なら、獣人どもに追わせればいい」
参謀たちの視線が一斉に集まった。
「奴らは所詮、動物と大して変わらん。だが、森での戦いなら多少は役に立つだろう」
その言葉を受け、別の参謀が慎重に口を開いた。
「しかし、獣人兵は今回の戦いでかなり数を減らしております。現状では、追撃部隊を編成するにも十分な戦力とは――」
そこまで言いかけたところで、リスナの表情が変わった。
参謀はその視線を受けると、続く言葉を飲み込み、静かに頭を下げる。
「……かしこまりました。至急、獣人兵を中心とした部隊を編成し、追撃任務に当たらせます」
「最初からそう言えばいい」
満足そうに鼻を鳴らしたリスナは、再び机の上の地図へ目を落とした。
補給線を荒らす王国軍を排除し、砦の再建を進めるためにも、まずはヒーバ大森林に潜む敵を炙り出さなければならない。
リスナは次の戦いに向けて作戦に思案を巡らせていく。
自ら命じたその追撃部隊が、やがて彼の想像とはまったく異なるものを見つけることになるとも知らずに。
*
大量の荷物を積んだ荷馬車が、ニイアスへ向かって森の街道を進んでいた。
荷台には、どこか満足そうな笑みを浮かべるワンの姿がある。
襲撃の際に身につけていた王国軍の装備はすでに外し、今ではいつもの黒衣装へと着替えていた。
馬車の周囲を警戒するように兵士たちが歩いているが、その表情には疲労以上に、今日の戦果に対する自信が浮かんでいる。
途中に設けられたいくつかの監視所を通過すると、高台の見張り兵がワンたちの姿を確認し、大きく手を振った。
兵士たちもそれに応えながら進み、やがて森の向こうから賑やかな音が聞こえ始める。
近くを流れる川のせせらぎ、人々の話し声、木材を打ちつける音まで耳に届くようになると、ワンも荷台から顔を出してニイアスの街並みを眺めた。
急激な発展を続けるニイアスでは、至るところで新しい建物が建てられている。
切り開かれた土地では畑が耕され、まだ小さな苗が整然と並び、その周辺には露店まで姿を見せ始めていた。
買い物をする人々や働く住民たちの顔にも活気があり、以前とは比べものにならないほど街らしい景色が広がっている。
入口には新たに大きな門が造られ、獣人の兵士たちが門兵として周囲へ目を光らせていた。
やがて馬車の上にいるワンの姿に気づくと、門兵だけでなく街の人々まで次々と声をかけ始める。
「黒獅子様! 今日も大量ですね!」
「鍋かヤカンがあったら譲ってくれないかい?」
「これ、今朝採れた野菜です! ひとつ持っていってください!」
あちらこちらから飛んでくる声に、ワンも苦笑しながら手を振って応える。
どうやら補給部隊への襲撃は、すでにニイアスでは珍しい出来事ではなくなりつつあるらしい。
帝国軍にとっては恐るべき森林の襲撃部隊でも、ニイアスの住民から見れば、今日も生活に必要な物資を持ち帰ってくる英雄たちだった。
やがて荷馬車が黒い館の前に止まると、待機していた係の者たちが集まり、荷台の物資を手際よく分別しながら運び出していく。
係の一人が荷を開け、中身を確認した。
「釘、工具、布、薬品……また建築資材までありますね」
別の係がそれをリストにまとめ、必要な部署へと振り分けていく。
「おかえりなさい」
聞き慣れた優しい声に、ワンが振り返った。
そこにはニアの姿があり、そのすぐ傍らには二人の護衛騎士が立っている。
聖女騎士団ヴァルキュリアのリーネとクロエである。
二人は双子の姉妹で、姉のリーネも妹のクロエも黒髪に黒い猫耳を持ち、顔立ちもよく似ている。
しかし、その雰囲気は対照的だった。
「ワン様。お疲れ様でした」
槍を携えた姉のリーネが丁寧に頭を下げる。
「黒獅子様。遅い」
対して、黒い刀身の剣を腰に差した妹のクロエは、表情をほとんど変えないまま淡々と言い放った。
「こら、クロエ。ワン様に向かって、なんて口の利き方をするの?」
リーネが妹を窘めても、クロエはまったく悪びれる様子を見せない。
「普通。だって、ニア様ずっと待ってた」
「えっ!?」
突然話を振られたニアが慌ててクロエを見る。
そのまま二人の会話を止めるように一歩前へ出ると、少し俯きながら口を開いた。
「違うの……その……今日、帰ってくるって聞いてたから……」
たどたどしく答えるニアの姿を見た瞬間、ワンの表情が分かりやすく緩んだ。
「すまなかった。ちょっと野暮用があって遅れた」
そう言いながら頭を掻くと、ワンは片手をニアの前へ差し出した。
その手の中で、小さな髪飾りが揺れている。
ニアは目を丸くしたあと、嬉しそうにそれを受け取った。
「ありがとう。すごく可愛い」
髪飾りには、小さな魚を模した細工が施されていた。
それを見たニアはクスクスと笑い、その場で髪へと飾りつける。
「どう?」
「似合ってる」
ほとんど間を置かずに返事をしたワンは、満面の笑みを浮かべた。
その少し離れた場所では、周囲を警戒していたセレナが、こちらへ視線を向けていた。
今日の近接警護を担当しているのはリーネとクロエであり、セレナは周辺警戒を担当している。
少なくとも、先ほどまではそのはずだった。
ワンとニアのやり取りに気づいたセレナは、いつの間にかゆっくりとこちらへ歩いてきていた。
口元には笑みを浮かべているものの、その目には妙な迫力が宿っている。
「ワン様」
「……なんだ?」
「ニア様は、このあと予定が詰まっておりますので、本日はこれで」
有無を言わせぬ口調で告げると、セレナはそのままニアの肩を抱き寄せた。
「あっ、セレナ。ちょっと待って――」
ニアの抗議など聞こえていないかのように、セレナは足早にその場を離れていく。
「ありがとう、ワン! 大切にするね!」
遠ざかっていくニアの声だけが、取り残されたワンのもとへ届いた。
ワンはしばらくその背中を見送ったあと、満足そうに小さく頷く。
少なくとも今日の戦果については、十分だったらしい。
*
黒の館へ足を踏み入れると、中では多くの職員たちが忙しそうに働いていた。
全員が統一された制服を着用し、胸元にはそれぞれ異なる色の狼を模した徽章が付けられている。
これはテイルの考案した制度で、徽章の色を見れば、所属する組織や役割がすぐに判別できるようになっていた。
その中でも特に慌ただしく動いているのが、青色の徽章を身につけた獣人たちである。
彼らは執政官テイル直属の文官であり、各部署から上がってくる報告書を整理し、必要な場所へ回したうえで分類して保管していた。
人口が増え、組織が大きくなるにつれて、戦う者だけでは街は動かない。
すでにニイアスでは、書類を扱う事務仕事も立派な職務の一つとなっていた。
忙しそうに行き交う職員たちの間をすり抜け、ワンは黒の館の一番奥にある自分の執務室へ向かう。
扉を開けると、そこではテイルとラビ、そしてイフが待ち構えていた。
「おかえりなさいませ」
イフが丁寧に頭を下げる。
ワンが片手を上げて応えると、その隣にいたテイルも穏やかな声をかけた。
「ワン。おかえりなさい」
「おう」
「ところで、ワン。私は言いましたよね?」
「何が?」
その一言で、テイルの表情から穏やかさが消えた。
「補給部隊への襲撃は、三日に一回程度に抑えるようにと」
ワンの視線が僅かに泳ぐ。
テイルは机の上から一枚の報告書を取り上げると、そのままワンの前へ突き出した。
「では、これは何ですか?」
そこには帝国軍補給部隊の移動経路と、ここ一カ月に実施された襲撃の記録が細かく記されていた。
テイルは報告書の一部を指で叩く。
「一日一回。多い日は二回」
「……」
「ワン?」
「だって、目の前にいたらなぁ……」
同意を求めるようにイフへ視線を向けたが、彼女は静かに目を逸らした。
「あなたが見境なくバンバン襲うから、敵の警戒も強くなるし、護衛の数まで増えているんですよ。今後どうするつもりなんですか?」
ワンは面倒そうに両耳を押さえ、聞こえないふりを始める。
その姿を見かねたラビが、苦笑しながら間に入った。
「まあ、物資が増えること自体は悪いことじゃない。ただ、帝国軍もそろそろ本腰を入れてくる頃だろう」
ラビの言葉を受け、イフが一枚の報告書を取り出した。
先ほどまでの空気が僅かに引き締まる。
「ハイデン砦に潜入している者から報告が入りました」
イフは三人の顔を順番に見回しながら続けた。
「帝国軍は、補給部隊を襲っている一団を追跡するため、ヒーバ大森林へ新たな部隊を送り込むようです」
「部隊?」
ワンが耳から手を離す。
イフは静かに頷いた。
「はい。しかも編成されるのは、人間の兵士ではありません」
そこで一度言葉を切ると、机の上へ報告書を置いた。
「獣人兵だけで構成された追撃部隊です」
その報告を聞いたワンは、少し考えるように顎へ手をやった。
しかし、次の瞬間には楽しそうに笑う。
「なら、迎えに行かなきゃな」
テイルはその言葉を聞くなり、片手で顔を覆って首を振った。
「ワン。獣人なら誰でもこちらに来ると思わないでください。みんなが尻尾好きとは限りません」
「そうだぞ」
なぜかラビまで真剣な表情で頷く。
「ウサ耳に魅力を感じる奴だっているんだ」
「そこじゃありません」
テイルが即座に突っ込んだ。
二人の主張はどこかズレていたが、言わんとしていることは、なぜかワンにも伝わったらしい。
ワンは少しだけ考えたあと、いつもの調子で頷いた。
「わかった。まずは話を聞いてみる。戦うかどうかは、それからだ」
その言葉に、テイルたちも静かに頷く。
帝国軍から送り込まれる獣人兵たちを、敵として迎えるのか。それとも別の道を探すのか。
一同は机を囲み、次なる作戦に向けた話し合いを始めた。

この時代に採用された徽章制度は、のちのニイアスにおける各省庁の色分け制度へと受け継がれていったとされる。
ただし、当時に限って使用されていた特別な徽章が存在したことが、近年発見された記録によって明らかになっている。
その色は、金。
金色の徽章を身につけることが許されたのは、ニイアス内において聖女ニアの最も近くで警護を担当する騎士だけだったという。
ニイアスの外では聖女騎士団ヴァルキュリアの全員が護衛に当たっていたが、比較的安全な街の中では一名ないし二名が近接警護を担当し、残る団員が周辺警戒に当たる体制が採られていた。
問題は、誰がその近接警護を担当するかである。
記録によれば、この役目を巡ってヴァルキュリア内部でたびたび意見が衝突したため、最終的には日ごとに担当者を交代させる制度が設けられたという。
その名を、『聖女専属日直制度』。
後世には、聖女の最側近を務めた証として非常に名誉ある制度だったと伝えられている。
もっとも、その始まりが純粋な警備上の必要性だけによるものだったのかについては、現在も研究者の間で議論が続いている。
🔙第十九話 第二十一話🔜


