#039 その答え、まだ存在していないかもしれない。
答えは、最初から誰かが持っているとは限りません。
こちらには仮説があり、相手には感覚がある。どちらにもまだ見えていないものが、関わり、往復するうちに少しずつ輪郭を持ち始める。
今回は、そんな「関係の中で生まれる答え」について考えます。
最初から、ピントが合う方が不思議なのかもしれない
顧客と新しいサービスについて話していると、最初の会話ではなかなかピントが合わないことがある。
こちらは事前に業務を調べ、「おそらく、このあたりに困っているのではないか」と仮説を持っていく。相手も、「この作業が大変なんですよね」「もっとこうなったらいいんですけど」と、日々感じていることを話してくれる。
それでも、どこか噛み合わない。
もちろん、こちらの仮説が間違っていることもある。ただ、それだけではない。話している相手自身も、自分たちが何に困っているのかを、最初からきれいに言葉にできているとは限らない。
毎日繰り返している仕事だからこそ、当たり前になっていることがある。「大変だ」という感覚は確かにあっても、何がその大変さを生んでいるのかまでは、自分たちでもよく分からない。
そう考えると、最初からピントが合う方が不思議なのかもしれない。
こちらには仮説があり、相手には感覚がある。どちらにも何かは見えているけれど、どちらにもまだ全体は見えていない。
だから、話してみる。少し試してみる。
すると、「そこではなかった」ということが分かることがある。その代わり、何気ない反応から別の場所が気になり、今度はそこについて話してみる。
最初は「この作業が面倒なんです」と言っていたものが、よく見てみると、その作業自体ではなく、そこへたどり着くまでに何人もの人へ確認しなければならないことが負担だったりする。
さらに話していくと、確認の多さそのものではなく、「誰が決めるのか」が曖昧だから確認が増えていた、と分かることもある。
そうやって往復しているうちに、少しずつピントが合ってくる。
けれど、最後に見えてきたものを振り返ると、不思議なことに気づく。
この答えを、最初から誰かが知っていたわけではない。
「聞けば分かる」とは限らない
こういう話をすると、「だから顧客の声をよく聞くことが大切だ」とまとめたくなる。
もちろん、それも間違ってはいない。
ただ、「聞けば答えが分かる」と考えると、実際に起きていることとは少し違う。
顧客の中に完成された答えがあり、こちらが上手に質問すれば、それを取り出せるわけではない。一方で、こちらが専門家として正しい答えをつくり、それを相手に提示すれば済むわけでもない。
こちらにも見えていない。相手にも見えていない。
それでも、二つの不完全な視点を持ち寄って話し、何かを試し、返ってきた反応を見ながらまた考える。
その往復を続けていると、最初にはどちらにも見えていなかったものが、少しずつ輪郭を持ち始める。
それは「相手を正しく理解できた」というより、関わることで、一緒に見えるようになったと表現した方が近いのかもしれない。

変わっているのは、二人だけではない
最初にあるのは、こちらの仮説と、相手の感覚だ。
こちらが何かを投げかけると、相手から反応が返ってくる。その反応を受けてこちらの仮説が変わり、変わった仮説をもう一度相手に返すと、今度は相手自身の見方も少し変わる。
「そう言われると、確かにそこが大変なのかもしれない」
そんな言葉が相手から出てくることがある。
それは、相手がもともと知っていたことを、うまく言語化できただけとは限らない。こちらとの会話によって別の角度から自分たちの仕事を見ることになり、その結果として、相手自身にも新しい見え方が生まれている可能性がある。
そして、その言葉を受け取ったこちらにも、また違うものが見えてくる。
つまり、
自分 ⇄ 相手
という往復の中で変わっているのは、二人だけではない。
二人が見ている問題そのものも、少しずつ形を変えている。
ここまで来ると、「関係」の見え方が変わってくる。
関係とは、二つの主体を線で結び、互いが持っている情報を交換することだけではない。その線を何度も行き来するうちに、どちらも最初には持っていなかった理解が生まれることがある。
答えはいつも、どこかに完成した状態で置かれていて、それを上手に探し当てればいいわけではない。
関わることで、初めて生まれる答えもある。
関係の中で生まれるもの
この構造は、顧客との関係だけに起きるものではない。
誰かに仕事を任せるとき、上司は自分が知っていることを相手へ渡しているように見える。けれど、実際に任せてみると、自分とは違うやり方を見せられたり、思いもしなかった質問をされたりする。
そのとき初めて、「なぜこの仕事をこうしていたのだろう」と、任せた側にも問いが生まれることがある。
そこで仕事のやり方を見直せば、変わるのは任された人だけではない。任せた側の仕事の見方も変わり、場合によっては仕事そのものの設計まで変わっていく。
AIとの対話にも似たところがある。
問いを投げれば答えが返ってくる。けれど、その答えを見て「聞きたかったのは、これではない」と気づき、問いを変えることがある。違う答えが返ってくれば、それを手がかりにまた考える。
そんな往復を続けているうちに、最初に欲しかった答えではなく、自分が本当に考えたかった問いの方が見つかることさえある。
これは、単に相手から情報を得たということではない。
関わることで相手から何かが返り、それによって自分が変わる。変わった自分がまた働きかけることで、相手にも違う反応が生まれる。
そして、その往復によって、自分と相手が変わるだけでなく、
二者の間に、それまでなかった理解が育っていく。
まだ、その答えがない
何かを理解しようとするとき、私たちはつい、どこかに正しい答えがあると考える。
だから情報を集め、観察し、分析して、そこへ近づこうとする。それで見つかる答えも、もちろんある。
けれど、どれだけ見てもピントが合わないとき、もしかすると探し方の問題ではないのかもしれない。
まだ、その答えがない。
こちらにも、相手にも、完成した答えはない。それなら、どちらかが正解を出すまで考え続けるのではなく、不完全なまま関わり始めてもいい。
話してみる。何かを試してみる。返ってきたものを受け取って、こちらの見方を変えてみる。
そうして変わったこちらと関わることで、相手の見方もまた少し変わっていく。
その往復の先で、最初にはどちらにも見えていなかったものが、少しずつ輪郭を持ち始める。
最初からピントが合わないことは、必ずしも失敗ではない。
むしろ、最初から答えがないのだとしたら、
関わることそのものが、答えをつくる過程になる。

答えは、最初からどちらかの中にあるとは限らない。
関わることで、初めて生まれる答えもある。
次に読むなら
答えが関係の中から生まれるなら、そこにある「違い」は、邪魔なものとは限らない。
では、違う意見や見方を、私たちは本当に揃える必要があるのでしょうか。
次は、「違い」をなくすのではなく、使うことを考えます。
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