#046 考える前に、すでに選んでいる。── 問題と答えの間にある「切り口」の話
考えているのに、なぜか同じところに戻ってしまう。
そんなとき、足りないのは「答え」ではなく、問題を見るための別の「切り口」なのかもしれません。
今回は、問題と答えの間にある、普段は見えにくい一段について考えます。
変わったのは、考える量ではなかった
売上が落ちている。
会議では、営業の動き方について話している。訪問件数を増やすべきか、提案の質を上げるべきか。それとも、重点顧客を絞った方がいいのか。
いくつも案は出ているし、誰も考えていないわけではない。むしろ、それぞれが経験を持ち寄って、かなり真剣に考えている。
それでも、どうも決め手がない。
そんなとき、誰かがふと、「そもそも、顧客が買う理由の方が変わっていない?」と言う。
すると、それまで続いていた議論の景色が少し変わる。
営業がどう売るかではなく、顧客はなぜ買うのか。競合に負けているのか、それとも、そもそも買わないという選択が増えているのか。
話しているのは、さっきまでと同じ売上低下についてだ。
新しい情報が増えたわけでも、誰かが急に深く考えられるようになったわけでもない。
変わったのは、考える量ではなく、問題への入り方だった。
私たちは、問題をそのまま見ているわけではない
私たちは何か問題に向き合うとき、自分では「その問題について考えている」と思っている。
けれど、実際には問題をそのまま見ているわけではない。
売上が落ちれば営業活動を見るかもしれないし、納期が遅れれば工程を見るかもしれない。人が辞めれば、上司や職場環境に目を向けることもある。
どれも自然な見方だし、それ自体が間違っているわけでもない。
少し厄介なのは、自分がそこを「選んで見ている」という感覚がほとんどないことだ。
「営業という切り口から売上を見ている」のではなく、本人にはただ「売上について考えている」ように感じられる。
だから、その中で答えが見つからなくても、別の場所へ移るより先に、同じ場所でもっと考えようとする。
情報を増やしたり、選択肢を広げたり、比較を細かくしたりする。それでも答えが出なければ、「まだ考えが足りないのかもしれない」と、さらに深く入っていく。
もちろん、それで答えにたどり着くこともある。
でも、十分に考えたはずなのに、なぜか同じところへ戻ってしまうこともある。
そんなとき、足りないのは本当に「考える量」なのだろうか。

「切り口」と呼んでいるもの
ここまで「切り口」という言葉を使ってきたけれど、似た言葉はいくつもある。
視点、観点、見方、考え方。
それぞれ少しずつ意味は違うし、場面によって使い分けることもできる。ただ、ここで考えたいのは、その言葉の境界そのものではない。
誰から見るのか。何に注目するのか。どこまで時間を伸ばすのか。細かく分けるのか、逆につないでみるのか。
私たちは、こうした何かを介して問題を見ている。
この記事では、それらをまとめて、ひとまず「切り口」と呼んでみたい。
「視点を変える」という言葉もよく使うけれど、変えられるものは見る場所だけではない。
同じものを見ながら分け方を変えることもできるし、比較する相手を変えることもできる。時間の取り方を変えれば、それまで別々に見えていた出来事が、一つの流れとして見えてくることもある。
問題への入り方には、思っている以上にたくさんの選択肢がある。
問題と答えの間にあるもの
考えるという行為を少し外から眺めてみると、普段は見えにくい一段がある。
私たちはつい、
問題 → 答え
という一本の線で考えてしまう。
けれど、その間には本当は、
問題 → 切り口 → 答え
がある。
何を見るかによって、考え始める場所が変わる。そこからどう考えるかによって、見えてくる答えも変わる。
しかも、その一つひとつを毎回意識して選んでいるわけではない。
経験を積むほど、「こういう問題なら、まずここを見る」「こうなったら、まず分けて考える」といった入口が自然に身についていく。
それは悪いことではない。
毎回ゼロから考えなくていいからこそ、速く考えられるし、得意な領域では深く考えることもできる。
前回考えた「思考のクセ」も、こうしたところに現れるのだと思う。
ただ、その便利な入口から入って答えが見つからないときには、少し事情が変わる。
分解するのが得意な人は、さらに細かく分けるかもしれない。関係を見るのが得意な人は、さらに多くの関係をつなごうとする。時間軸で考える人なら、もっと長い時間を見ようとする。
どれも、それまで自分を助けてきた考え方だ。
だからこそ、「今回は別の切り口かもしれない」と考えるのは、意外と難しい。
同じ切り口を深く掘ることと、違う切り口から見ることは、同じではない。
「別の切り口を探す」という行動
「思考の引き出しが多い」とは、何なのだろう。
たくさんのフレームワークを知っていることも、その一つかもしれない。経験や知識が増えれば、問題への入口も増えていく。
でも、それだけではない。
いま使っている切り口で進まないときに、「別の切り口を探してみよう」と動けることも、思考の引き出しの一つなのだと思う。
そのために、いきなり新しい切り口を思いつく必要はない。
まず、自分がいま何をしているのかを見る。
人を見ているのか、仕組みを見ているのか。目の前の出来事を見ているのか、長い時間の流れを見ているのか。
あるいは、分け続けているのか、つなぎ続けているのか、原因を遡り続けているのか。
いま使っている切り口が見えて、初めて「ほかは?」と問える。
これは、自分の得意な考え方を捨てるという話ではない。
いつもの切り口で十分に考えて、それでも進まないなら、別の入口も探してみる。
大切なのは、最初から正しい切り口を知っていることではなく、切り口そのものを探していいと知っていることなのかもしれない。
答えの一つ前に戻ってみる
答えが見つからないとき、私たちは答えを探す。
それは自然なことだし、同じ切り口を深く掘ったからこそ見つかる答えもある。だから、いつでも見方を変えればいいわけではない。
それでも、十分に考えたはずなのに、何度考えても同じところへ戻ってしまうなら、一度だけ、答えから手を離してみる。
そして、問題と答えの間にある、普段は見えにくい一段へ戻る。
自分はいま、どんな切り口からこの問題を見ているのだろう。
そこが見えれば、「ほかにどんな答えがあるか」だけではなく、
「ほかに、どんな切り口があるだろう」
と問えるようになる。
問題そのものは、何も変わっていない。
それでも入口が変われば、さっきまで答えの候補にすらならなかったものが、見えてくることがある。

次に読むなら
答えが見えないとき、その一つ前にある「切り口」を見てみる。
でも、自分が選んでいる切り口に気づいたとして、別の切り口はどうやって見つければいいのでしょうか。
次は、「何を固定したまま考えているか」から、新しい切り口のつくり方を考えます。
あなたの「問い」も、聞かせてください。
仕事や組織、AI、これからのこと。
まだ言葉になっていない違和感でも構いません。
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