#023 大人になると、なぜ「成長」が見えづらくなるのか?
成長していないように見える時間にも、何かは積み上がっている。
大人になるほど見えづらくなる「成長」を、時間と蓄積の構造から考えてみます。
大人になると、なぜ「成長」が見えづらくなるのか?
久しぶりに、数年前につくった資料を開いた。
別に、ひどい資料ではない。
そのときなりに考えている。
伝えたいことも分かる。
でも、少し読んだところで手が止まった。
「こんなに説明してたんだ。」
もう少し先まで見る。
「今なら、このページはいらないな。」
当時の自分が間違っていたわけではない。
でも、今なら違うつくり方をする。
では。
いつから、自分はそう考えるようになったのだろう。
昨日までできなかったことが、今日突然できるようになった記憶はない。
何かを境に、急に仕事がうまくなった覚えもない。
毎日の自分だけを見ていれば、それほど変わった感じはしない。
それでも、数年前の自分と並べると、
確かに、違う。
大人になると、成長は見えづらくなる
子どもの成長は、分かりやすい。
昨日まで読めなかった字が読める。
自転車に乗れるようになる。
届かなかった場所に手が届く。
去年の写真を見れば、背が伸びたこともすぐに分かる。
「できない」が「できる」になる。
変化の境界が、はっきりしている。
大人も、最初はそうだ。
仕事を始めた頃は、「できない」がたくさんある。
一人で資料をつくれない。
会議で何を話せばいいか分からない。
顧客に何を聞けばいいか分からない。
それが経験を積むうちに、できるようになる。
ここまでは、分かりやすい。
でも、その先に進むと、成長の形が変わってくる。
資料はつくれる。
そのうえで、以前より早く論点を見つけられる。
会議では話せる。
そのうえで、話すより先に、相手が何に引っかかっているのかを考えられる。
顧客には質問できる。
そのうえで、聞かなくてもいいことが分かる。
「できない」が「できる」になるのではなく、
できることの、質が変わっていく。
速くなる。
深くなる。
早く気づく。
選べるようになる。
そして、ときには、
やらなくなる。
大人は、成長しなくなるわけではない。
成長の形が変わるから、
少しずつ、見えづらくなる。
積み上げてきた自分にも、「太さ」がある
もう一つ、理由があるのかもしれない。
まだ持っているものが10しかないときに、1が加わる。
10が11になる。
変化は大きい。
でも、これまで積み上げてきたものが100あれば、
100が101になる。
同じ1でも、変化は小さく見える。
もちろん、人間の能力を数字で測れるわけではない。
でも、積み上げてきた自分にも「太さ」がある、と考えると少し分かりやすい。
経験を重ねるほど、その太さは増していく。
そこに新しいものが一つ加わっても、昔ほど大きな変化には感じられない。
成長が小さくなったのではない。
積み上げてきた自分が、大きくなった
だから、成長は見えづらくなる。
でも。
それだけだろうか。
成長した日は、いつだったのか
最初の、昔の資料に戻ってみる。
今なら、こうはつくらない。
では、
いつから、こう作らなくなったのだろう。
考えてみても、分からない。
仕事をする。
失敗する。
人のやり方を見る。
また試す。
本を読む。
誰かと話す。
考え直す。
その一つひとつで、自分が大きく変わった感覚はない。
昨日と今日を比べても、ほとんど同じだ。
それでも、少しずつ積み上がっていくものがある。
経験。
知識。
試行錯誤。
「あのときの話は、こういうことだったのか」という後からの理解。
それらが、どこかでつながる。
そして、あるとき。
以前は難しかったことが、普通にできる。
ずっと分からなかったことが、ふと分かる。
必要だと思っていたものを、
「これは要らない」
と迷わず捨てられる。
その瞬間だけを見ると、
そこで成長したように見える。
でも、その日に突然、すべてを手に入れたわけではない。
その手前には、
まだ結果として見えていなかった時間がある。
成長は、階段のように「見える」
結果だけを見れば、成長は階段に似ている。
しばらく、何も変わらない。
あるところで、一段上がる。
また、何も変わらない。
そして、また一段上がる。
でも、その横ばいに見える時間は、
本当に空白なのだろうか。
経験が積み上がる。
知識が少しずつつながる。
試行錯誤が増える。
同じ失敗をしなくなる。
一つひとつは、まだ「成長した」と呼べるほどの結果には見えない。
それでも、プラスが少しずつ蓄積していく。
そして、ある閾値を超えたところで、
「できた」
「分かった」
「変わった」
という、目に見える変化として現れる。

構造にすると、
蓄積 → 閾値 → 顕在化
私たちが「成長した」と認識するのは、
最後の「顕在化」が起きたときだ。
でも、その段差をつくったのは、
その瞬間だけではない。
その手前にあった、何も変わっていないように見える時間だ。
今日の積み重ねは、明日と独立していない
小さな積み重ねが重要なのは、
小さいものも、たくさん集めれば大きくなるから。
それだけではない。
一つ知識が増える。
その知識を持った状態で、次の経験をする。
すると、以前なら見えなかったものが見えることがある。
そこで得たものを持って、また次の経験をする。
つまり、
今日の蓄積は、明日の蓄積と独立していない。
昨日までに積み上げたものが、
今日、何を受け取れるかを変える。
そして今日積み上げたものが、
明日、何を受け取れるかを変えていく。
だから成長は、単純な足し算ではない。
積み上がったものが、次の積み上がり方まで変えていく。
そこには、複利に似た構造がある。
マイナスも、同じように積み上がる
ただ、この構造は成長だけのものではない。
一日だけ寝不足でも、たぶん大きな問題にはならない。
一度だけ考えることを先送りしても、明日すべてが崩れるわけではない。
会社でも同じだ。
一つ会議が増える。
一つ承認が増える。
一つ例外対応が増える。
その日、会社は何も変わらない。
仕事も普通に回っている。
だから、
「このくらいなら問題ない」
と思う。
次に、もう一つ増える。
それでも、まだ回る。
でも、小さな負荷は消えたわけではない。
少しずつ時間が奪われる。
考える余裕が減る。
判断が少し雑になる。
手戻りが増える。
さらに時間がなくなる。
そして、あるところで、
「どうして、こんなに仕事が進まなくなったんだろう」
となる。
その日に、突然会社が変わったわけではない。
その手前に、
小さなマイナスが積み上がっていた。
プラスも。
マイナスも。
結果として表に現れるより前に、
蓄積の時間がある。
変化点の「手前」を見る
私たちは、目に見える変化に気づく。
できるようになった。
売上が落ちた。
仕事が遅くなった。
関係が悪くなった。
そして、その変化が現れた場所に原因を探そうとする。
でも、そこは原因ではなく、
蓄積が表に現れた場所
なのかもしれない。
だから、変化点に出会ったとき。
その瞬間だけを見るのではなく、
少しだけ時間を戻してみる。
その手前に、何が積み上がっていたのか。
もちろん、自分だけでなく、周囲もまた変わっている。
その話は、また別の機会に。
成長していない、と感じたとき
昨日の自分と、今日の自分を比べる。
あまり変わっていない。
たぶん、それは普通のことだ。
大人になるほど、成長は見えづらくなる。
積み上げてきた自分が大きくなり、
成長の形も、
「できるようになった」
だけではなくなる。
そして、目に見える段差の手前には、
まだ結果になっていない時間がある。
だから、自分の成長が見えづらくなったときは、
見る時間の幅を少し変えてみる。
一年前の自分なら、
どこで悩んでいただろう。
今の自分は、
何に早く気づけるだろう。
そして、
何を、やらなくなっただろう。
そこには、昨日と今日の間では見えなかった成長があるかもしれない。
結果だけを見れば、何も起きていないように見える時間がある。
でも、その時間は空白とは限らない。
プラスも。
マイナスも。
目に見える変化の手前で、
何かが積み上がっていることがある。
だから、変化点に出会ったら、
その手前に、何が積み上がっていたのかを見る。
成長は、階段のように見える。
でも、
段差だけが、変化ではない。

Layer Zero Lens
段差だけが、変化ではない。
変化点に出会ったら、その手前に何が積み上がっていたかを見る。
次に読むなら
成長は、目に見える「段差」だけではありません。
見えないところで積み上がり、あるとき初めて変化として現れる。
では、成長しているはずなのに、なぜ以前より「できないこと」が増えたように感じるのでしょうか。
次は、成長によって変わる「できる/できない」の見え方を考えます。
このテーマを、もう少し読む
あなたの「問い」も、聞かせてください。
仕事や組織、AI、これからのこと。
まだ言葉になっていない違和感でも構いません。
Layer Zeroをもっと見る
複雑なことを、構造からシンプルに。
Layer Zeroの記事を、テーマや関心から探せます。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします📣
いただいたチップでinput情報の向上に努めます!!