ぼくも最初は、戸惑いました… でも戸惑いがなくって、池田さんが引用した個所を、納得できるものなんでしょうか? もしそれができるとしたら、それは教条主義であって、哲学… まして形而上学なんかではでは、ないって、ぼくは思います… 連載 超訳プロレゴメナ 304 読書会編 203
2019年5月18日(土)に第31回目の読書会が開催されました。Zoom利用の9回目の読書会になります。
そして、読書会の対象は18節ですが、参加者が交わす言葉は、16節あたりから似たような言葉の繰り返しのようなところもあります。
それは、参加者自身も意識してのことと言っていいでしょう。それは参加者全員の共通の思いとして、つねに「理念」が存在しているからにちがいありません。頭脳の中だけではなく、ハートのなかにも…
もしかしたら、ハートの中のほうが、かなり大きのかもしれません。
池田幸男:
この18節で、とくにカントが主張したいのは下記にあるのだと思います。ただし、ここだけを取り上げても、その主張が輝いては観えては来ません!
だからある判断が、経験判断と言えるのは、だれが観てもそこに普遍的に妥当と言えるものがあることが必要なのだ。なぜなら、経験の判断の客観的妥当性は、その容認に必要な普遍性以外に得るのものは他にないからである。
曽根康夫:
その通りですね。でも、ぼくたちは、そこ基点にして、その前段を観ていこうじゃありませんか? ここに到達することが判って読むのは、以前の暗中模索からは、かなり脱出できるって思えますから…
山際このみ:
ゼミで『プロゴメナ』をおみ始めたことは、カントは、いったい何が言たいのか解らなくって、何度も戸惑っていたものね…
桐川夢見:
でも… その戸惑いがあったからこそ、経験も一つの表現だけでは表せないことも、判ってきたんじゃないのかしら…
栗林雄太:
ぼくも最初は、戸惑いました… でも戸惑いがなくって、さっき池田さんが引用した個所を、納得できるものなんでしょうか? もしそれができるとしたら、それは教条主義であって、哲学… まして形而上学なんかではでは、ないって、ぼくは思います。
牧野照邦:
そうですね! だから今日は、最初は、頭のなかを空っぽにして、最初から検討していくことがいいのだと思えますね。
前島幸太郎:
じゃあ、ここから始めることにしましょう!
まず、ぼくたちは注意しなければならない。
すべての経験判断は、(感覚認識に根拠をもって)経験的ではあるが、すべての経験的判断は経験判断ではない、と言わねばならいことを。
