経験判断って、経験したものすべてにたいしては言えないってことですね? その前提に経験的判断があって、そこから経験判断になるものと、ならないものがあるってこと言いたいって思うけど! 少し先にいくと知覚判断って言葉が出てくるから… それが、経験判断にならないものって、考えれば… 連載 超訳プロレゴメナ 305 読書会編 204
第31回読書会(つづき)
栗林雄太:
前島さんが引用したのは、18節の冒頭ですが、経験判断って、経験したものすべてにたいしては言えないってことですね?
桐川夢見:
そうみたい、でも判りにくい! その前提に経験的判断があって、そこから経験判断になるものと、ならないものがあるってこと言いたいって思うけど!
山際このみ:
そうなんだろうね! 少し先にいくと知覚判断って言葉が出てくるからね。それが、経験判断にならないものって、考えればいいんだね!
経験的判断は、客観的な妥当性があることを前提にした経験判断だ。しかし、それが主観的にだけ妥当するだけなら、ぼくはそれを単なる知覚判断と呼ぶ。
知覚判断は、理解するための純粋理解力概念を必要とせず、思考する主体での認識の論理的結合を必要とするだけだ。
知覚判断って、感じただけの経験… 理解力を通して理念にまでには昇華しないものって観ればいいみたいにも思うけど…
曽根康夫:
この箇所は、ゼミでは一年ほど前にやったとこだけど… その時は、こんなこと問題にしませんでしたよね。もっともその時使ってテキストでは、こんな具合でしたから…
経験的判断は、それが客観的妥当性を、もつ限りにおいて経験判断である。しかし私は、単に主観的にのみ妥当する経験的判断のほうを、知覚判断と名づける。経験的判断は純粋悟性概念を必要としない、この判断に必要なのは、思考する主観における知覚の論理的連結だけである。これに反して経験判断のほうは、常に感性的直観における表象を超えて、更に特殊な概命――すなわち悟性において根源的に、産出された概念〔カテゴリー〕を必要とする、そしてこれらの概念が、客観的に妥当する経験判断を成立させるのである。
須田隆雄:
ほんとうにわかりにくい文章だね! まず、日本語に翻訳しなければならないみたいで、その時は、うんざりしてたんじゃないかな!
前島幸太郎:
たしかに、あのテキストでは、暗中模索することが多くって、は疑問が浮んでくる手前で、止まってしまっていたんじゃないのかな?
牧野照邦:
それでも、何度か読んで入れば、今、ここで言っている疑問も浮かんできたはずですよ! ぼくのころは、まだ先生の超訳はなかったから、あのテキストで、解読していくしかなかったんですけど… それは、けっしていい方法とは言えませんからね!
桐川夢見:
だから先生は、学生たちの余計な苦労を省くために、超訳を始めたんだと思う…
