見出し画像

もし感覚が対象の物に対しそれ自体として表現するのであれば、ぼくたちが受け取る事態は、まったく違ったものになっただろう。なぜなら、物自体には表象を外部に示すものを何も持っていないから… 連載 超訳プロレゴメナ 241 本編40

240

第13節 補足1

 純粋数学、特に純粋幾何学は、感覚が捉えたもの限って関係するという条件だけ客観的な現実を持つことができる。しかし感覚が捉えたものは、ぼくたちの感覚表現での物自体ではない。物自体は、ぼくたち対して現れるある形の表象に過ぎないのだ。
 幾何学の命題を、人間の詩的な想像力が生み出したの創造とは言えないことが、こうして明らかになったと言えるだろう。つまり人間の観測においては実際の物自体を、直接に参照することはできないということなのだ。
 むしろ、必然的に空間に適応したすべての物に対して、幾何学の命題が対応すると表現するのが正しいと言える。なぜなら、空間はすべての外面の形式にほかならず、この形式においてのみ感覚の対象が与えられることができるからである。幾何学の基礎となる形状である感性は、外的な現象の可能性を左右される。したがって、これらの外的現象には、幾何学で規定されているもの以外を、含めることはけっしてできはしない。

 もし感覚が対象の物に対しそれ自体として表現するのであれば、ぼくたちが受け取る事態は、まったく違ったものになっただろう。なぜなら、物自体には表象を外部に示すものを何も持っていないからだ。
 そうなると、幾何学が空間の性質に関してア・プリオリな基礎として、そこから推論されるとしていたものが、本質的な空間の概念から導かれることが決してなくなってしまうだろう。そうして多くの人たちは、幾何学的な空間は単なる創り物に過ぎないと観るようになり、空間に客観的な妥当性があるとは認めはしなくなるに違いない。なぜならば、人間が物を知る以前から自然に持っていた物のイメージと、対象の物自体とが必然的に一致するのかが解らなくなってしまうからだ。
 だがこの像(イメージ)が、この形式的直観こそが、ぼくたちの感性の本質的な性質なのだ。これを介してのみ対象の物がぼくたちに与えられるのだ。そして感性が表象できるのは物自体ではなく、その表象でだけである。
 したがって、ぼくたちの感覚の世界でのすべての物は、幾何学の命題と最も厳密な方法で必然的に一致しなければならないことが、容易に理解され証明されることになる。なぜなら、幾何学が関わる外的な直観の形式(空間)によって、感性が対象を単なる現象として可能にするからなのだ。

242

いいなと思ったら応援しよう!