だれも納得できるなら、それも客観的な妥当性を持っているものでしょう… それを経験判断て言えるかは、別の次元で考えなければならないと思いますが… それも理解力の活用で、納得できるかそうでないを決定できのでしょうね?… 連載 超訳プロレゴメナ 315 読書会編 211
第32回読書会(つづき)
栗林雄太:
カントが挙げてる例に、「部屋は暖かい」が、ありますけど、同じ温度でも、暖かく感じる人もいればそうでもない人もいるってこと、言いたいわけですね。
だから、知覚判断って、こうした曖昧な部分を持っているって考えなければならないわけですね。
須田隆雄:
ただし、それが、だれにも同じ結果や判断ができるものであれば、知覚判断も経験判断に昇格できるって考えてもいいわけですね!
池田幸男:
須田君が言った「だれにも同じ結果や判断」って… カントの表現の、「他の時点でも常にぼくのほかにも他のすべての人に教えてくれるもの」につながることなんですね。
しかし経験判断では事情が、まったくは異なっている。一定の状況下で経験がぼくに教えてくれることは、他の時点でも常にぼくのほかにも他のすべての人に教えてくれるものでなければならない。すなわちその有効性は、対象や特定の時点での状態に限定されるものではない。だから、そうした判断のすべてに対して客観的に妥当だと、ぼくは称することができるのだ。
桐川夢見:
いま… 思ったころなんだけど、こうしてZoomで読書会をしていると、みんな違うところにいて、それぞれが違う温度を体験しているけど、暖かさは、同じものじゃないのかって思えてくるんだけど…
山際このみ:
夢見ちゃんの、願望の夢の世界の話だけど、それって、あってもいい話だよね!
前島幸太郎:
だれも納得できるなら、それも客観的な妥当性を持っているものでしょう… それを経験判断て言えるかは、別の次元で考えなければならないと思いますが…
牧野照邦:
カントが形而上学として言いたかったことを、理解したいって思うのは、ここにいる全員の気持だと思います。だから、桐川さんが言った、同じ暖かさは、ぼくたちとっては、普遍的な妥当性を持たものって言いと思っています。
曽根康夫:
それも理解力の活用で、納得できるかそうでないを決定できのでしょうね?… 経験判断って言えるかどうかには、関係なく… そうだと思えてなりません!
前島幸太郎:
経験判断ではないとしても、ぼくたちの共通認識であるのは、間違いないことでしょう…
