最初は概要を把握するだけで、構わないと受け取っていた。そして繰り返していくことで、記憶の襞に気づかねばならない個所がかすかに残っていく… 超訳プロレゴメナ 115 読書会編80
超訳プロレゴメナ読書会 第七回から
栗林雄太の感想
読んでみれば分かるはずのことが分っていなかった、今はそんな感じでいる。
カントは、「どの科学でも次に掲げる三点でその特徴が示される」って書いているけど、なぜそうなのかは一言も書いてない。
でも、ここを読んでるだけでは、そんな疑問も浮かばない。ただ漠然と読んでいれば、そうなるのが当然なのだろう。
推理小説を読んでいても、他のことを考えながら10ページも読んでいることもある。しかし、それは眼を通しているだけだけで、読んでいるわけではない。それから先は物語の展開さえ把握できなってしまう。そうした自分に気づけば、もう一度10ページ手前に戻って読み返すのがとうぜんだけど、時には気づかずにそのまま進んで行くこともある。
後に印象が薄くなっているのもその類なのだろう!
池田さんが指摘して、ぼくたちがようやく気づいたこともそれに似たものを考えさせてくれる。
でも気づくために神経質になる必要もないのかもしれない。牧野さんの言葉からも最初は概要を把握するだけで、構わないと受け取っていた。そして繰り返していくことで、記憶の襞に気づかねばならない個所がかすかに残っていくとも考えられる。それが人間の感性ではないないのか?
そこに認識の始まりがあるに違いない。こう思ってこれからも、ぼくは先に進んで行きたい、と強く思っている。
