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『純粋理性批判』の一行一句を細かく読み解いて、疑問を呈しているものもある。しかしそれは長年の探求の成果であり、まだ数回しか読んでいないぼくたちが採っていい姿勢とは思われない… 超訳プロレゴメナ 116 読書会編 81

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超訳プロレゴメナ読書会 第七回から
 
曽根康夫の感想
 
 哲学を、古典を通して学ぶ場合は一行一句も疎かにしてはならないのは事実だろう。しかし現在のぼくたちがそれを貫こうとしたなら、一歩も前に進めなくなるのではないか?
 
 ディスカションで牧野さんが言っていたけど、対象の古典を読み始めた段階では概要を把握したら、とにかく先に進むことなのだろう。とくに哲学の古典は一度読んだだけで終わりにすることはできないから、再読の際に一段高い視点に立つことができるかが、肝要なのではないだろうか?
 
 永井均の著作には『純粋理性批判』の一行一句を細かく読み解いて、疑問を呈しているものもある。しかしそれは長年の探求の成果であり、まだ数回しか読んでいないぼくたちが採っていい姿勢とは思われない。
 
 池田君が科学で掲げる三点で具体例を求めたのも、再読の成果だろう、一行一句を細かく読み解いたものとしてではなく、哲学に親しむ中で自然に出てきた疑問と解釈していいものだと、ぼくは受け取っている。これこそが、今のぼくたちに求められる最善の方法であり姿勢だと思う。
 そしてこれを繰り返し行けば、10年くらい先になって、一行一句を細かく読み解く必要も自然に出てくるに違いない、そうぼくは考えている。その時のためにも概要で『プロレゴメナ』と『純粋理性批判』の全容を理解しておくことが必要なのだ、それが今のぼくの確信だ。

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