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形而上学的の認識を辿って行くと、その根源にあるのものが経験的なものでないことを知る… 超訳 プロレゴメナ 106 本編 17

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第一節 形而上学はどこから生まれたのか(承前)

 形而上学的の認識を辿たどって行くと、その根源にあるのものが経験的なものでないことを知ることになる。だからその原理(原理だけでなく基本となる概念も含まれている)は決して経験から導かれるようなものであってはならないのだ。
 なぜならそれは形として捉えられる物理的なものではなく、形而上学的な知識、つまり経験を超えた知識でなければならないからだ。
 だからそれは、物理学本来の根源である外部経験も、経験心理学の基礎である内部経験も、その基礎には持ってはいない。それだから形而上学の認識は経験以前のア・プリオリな認識なのだ。
 形而上学の認識とは、純粋な理解力(悟性)と純粋な理性から得られる先験的な知識にほかならない。
 しかしこれまでの説明では、形而上学は純粋数学と区別ができない。だからそれは純粋な哲学的認識と呼ばれなければならないだろう。
 この用語の意味を知りたいと思ったときは『純粋理性批判』の下記箇所を参照すれば良い。
 超越主義の方法 第一章 第一節(p.712/p.740)
そこでは、二種類に理性の使用法について詳細に説明されている。
形而上学的な認識の源泉については、ここまでの説明で良いだろう。

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