個々の作家の特異性が観られれば、そこに明確な創造の形が浮かび上がってくる、そう思えてしかたない 超訳プロレゴメナ 111 読書会編76
超訳プロレゴメナ読書会 第七回から
須田隆雄の感想
以前は趣味の世界だった哲学が、ぼくの世界観に変わり始めたようだ。
それは認識の根源を再確認できたことが大きいのだろう。去年のゼミでは、書かれたことを、読んでいただけで自分自身のものとしてまでは捉えていなかった。
読書会では認識の対象を個々に分けて、その特異性を抽出する重要さを再認識した。いや再認識じゃないね! いままでその重要さをよく考えてはいなかったのだから。
ぼくの中では、ゲーテもホフマンも、さらにはスタンダールも一つでしかなかった。読者の感情を熱情に変化させる物語作家でしかなかった。
しかしホフマンの幻想は、ゲーテとは異なっている。それはぼくたちを幽幻の世界に彷徨わせるが、ゲーテはそこに行く前に現実を考えさせられる。
またスタンダールの熱情は、幻想とは無縁な世界の産物だろう! 一時代の野心とそれが適わない青年の苦渋が、形を変えてロマンスを作り出す。それはバルザックも書くことができない世界だった。
個々の作家の特異性が観られれば、そこに明確な創造の形が浮かび上がってくる、そう思えてしかたない。
これが思惟する人間の歓びの発火点を、指しているのではないか。
ぼくには、まだ見えないが、ぼくのための世界観がそこに迫っているように思えてならないのだ!
