目前に多くの観察対象があるとしてもそれを一括して取り上げるのではなく、個々の対象を分けられる限り分解していけば、その特有性も鮮明に… 超訳プロレゴメナ 110 読書会編75
超訳プロレゴメナ読書会 第七回から
ディスカション(承前)
桐川夢見:
それじゃあ前島さん、思いつかれてること言ってくれませんか? それをヒントにして、わたしたちも思いついたものを挙げていきますから。
山際このみ:
そうね、与太郎的な発想についていけば、なんでも浮かんできそうだね!
前島幸太郎:
(苦笑いしながら)まず「対象の相違」ですけど、これはぼくたちの観察対象を個々に分割したときに現れる相違を指していると思えばいいでしょう。
ぼくの前には、ノートパソコンと筆記道具が置かれています。この二者は、同じものではありません。これを相違って捉えることができるはずです。またこうした物理的な対象だけではなく、記憶の中に現れる映像にも相違がありますよね。
須田隆雄:
ファウストとメフィストフェレスは異なるものだから、物語のなかにも相違する対象があるってわけですね?
牧野照邦:
つまり、目前に多くの観察対象があるとしてもそれを一括して取り上げるのではなく、個々の対象を分けられる限り分解していけば、その特有性も鮮明になってくるってこと、そいうことですね!
栗林雄太:
人間もその総体でなく、各器官に分解すればその特有性を明らかにできるっていうことなのでしょうか?
池田幸男:
ただ分解するだけでなく,異体間の相違と相似に眼を向ければ、演繹の発端が把握できるように思えてきました。
前島幸太郎:
「認識の源泉」に関しては、『純粋理性批判』に至るまでの種々の考え方を通して、感覚、知覚、理性などを思い浮かべればいいのではないでしょうか。
曽根康夫:
そうした方向で進んで行って「認識の種類」に関しては、実際的な認識と推論的な認識もあるって方向で考えればいいのじゃないのかな?
牧野照邦:
今回はそうしたところで止めておけばいいと思います。今の時点では、深追いしないで概要だけで先に進んでいけばいいでしょう。進んだ先で池田君のように疑問が出てきた時に、また考えてみればいいはずです。先に行ってもこの回答に相当するものが出てきますから…
山際このみ:
わたしたちよりもプロレゴメナを、何度も読んでいる牧野さんが言ってることだもの、それが間違いないことだと、思ってる…
牧野照邦が笑いながら、少し頚を振っていた。
前島幸太郎:
その先の「形而上学的の認識を辿って行くと」の個所に移りたいのですが、残り時間も少なくなっています。ここは次回に回すことにしましょう。
編集者付記:
第1節の後半は、すでに掲載している。その時点では前半のディスカッションの時間を短く見積もっていた。しかし納得できるまでにディスカッションを記述していたら、時間が不足する事態になってしまった。
次回は、プロローグと本編の記載は省略し、読書会関連の記述のみに止める考えでいる。
