今回は、自然にたいする、人間の理念もとりあげられた。そしてそこでは、さらにカントのプラトン擁護も採り上げられた… それは、理念を持たない政体が、社会に不幸をもたらすものということだった。今の日本は、カントがいう不幸の中にあるのでないだろうか… 連載 超訳プロレゴメナ 282 読書会編190
第27回目読書会 まとめ
プロレゴメナの読書会も始まってから一年以上が経過した。
今回が27回目になるということから、いろんなことを考えさせられた。
月に2回の開催が、問題なく実施されてきたことでこれだけの回数を熟せたに違いない。
ただし、プロレゴメナが全60節で構成され、まえがきとあとがきを含めると、全70節と言ってもいい構成になってることを考えると、回数のわりには、あまりにも進捗が遅い。今回が14節を対象にしたことを考えると、まだ初歩の初歩の段階にいるって言ってもいいのだろう。
でも、この進捗の遅さこそが、プロレゴメナ読書会を特徴づけるものなのだろう。
さきに進むよりも、参加者全員が納得しない限り、先に進まないって方針が貫かれている… これはどんな読書会にも言えること真のだろう。
先を急ぎ過ぎたために、ポシャッてしまった読書会のことも聞いたことがある。先に進むだけが、いいって事じゃないってことだろう…
たしか13節は、6回もの時間を要してしまったはずだ。途中に「コペルニクス的転回」の理解のために『純粋理性批判』第二版序文までも扱った結果が、そうなったにだった。
けれども、こうした寄り道も、この読書会には大事なことな名のだと思う。
カントがプロレゴメナを書いたのは、多くに自分の真意を解って欲しかったからなんだと思う… ところどころに『純粋理性批判』のページ数が記載されているのは、プロレゴメナだけに止まって欲しくなかったカントの読者にたいする希望なのではないだろうか?
だからぼくたちの、こんな寄り道が多い「プロレゴメナ読書会」があるのを、カントが知れば(そんなことはないだろうけど)、大喜びしてケーニヒスベルクの街中を散策してたんじゃないのかな?
また今回は、自然にたいする、人間の理念もとりあげられた。そしてそこでは、さらにカントのプラトン擁護も採り上げられた。
それは、理念を持たない政体が、社会に不幸をもたらすものということだった。今の日本は、カントがいう不幸の中にあるのでないだろうか…
それでもぼくは、諦めない。ぼくたちの真理の追究が、もっと大きなものとなって広がって行けば、いつかは日本にも健全な社会が訪れるだろうことは、けっしてぼくは、疑わない。
(須田隆雄 記)
付記:
この読書会の、ぼくを含めた五人は、先月の3月20日で学校を卒業した。これで4月からは、初歩の初歩の社会人になったことになる。だから今後は読書会の回数も減っていくかもしれない。それでも、けっして読書会が絶えることがないはずだ。
それは、ぼくだけでなく全員の確信だ。
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