人間に理念があるからこそ、自然の中から有意義なものを、とりだしそこに規則を見つけていったのだと、ぼくは思います… 漠然と自然に対処するだけなら、理念を持たない政治家と同じように、有意義なものは何も生まれてこなかった… 連載 超訳プロレゴメナ 281 読書会編189
池田幸男:
プラトンの『国家』は、ぼくも読んだことがありますが、カントは、そのどこを擁護したのでしょうか?
牧野照邦:
国を健全なものにしていくには、為政者が理念を持つこと… プラトンは、そう書いています。後代の学者たちは、これを暇人が書いた世迷言だと非難したのでした。
桐川夢見:
でもカントは世迷言とは取らずに、それがなければ、国がおかしくなるって言ったのかしら?
前島幸太郎:
その通りです。今の日本の為政者の大半が理念を持たないで、自分の欲望だけで政体を動かしているのを観れば、プラトンの言うことも理解で知る筈なのです。
曽根康夫:
ほんとうに、今の日本はこのままでは壊滅を待っているだけのようなものですね。
山際このみ:
それは判るけど、理念と自然の関係が、それとどうつながって行くのかしら?
須田隆雄:
コペルニクス的転回では、認識が空間と時間を創りだしたことを明確にしましたが、自然に対しては、理念が自然そのものの規則を創り出すと、そんな意味なのかな?
栗林雄太:
そうだと思いますよ! 人間に理念があるからこそ、自然の中から有意義なものを、とりだしそこに規則を見つけていったのだと、ぼくは思います。
牧野照邦:
漠然と自然に対処するだけなら、理念を持たない政治家と同じように、有意義なものは何も生まれてこなかったのだと捉えて良いのでしょう。
前島幸太郎:
これも、カントの自然観と捉えることができるでしょう。
データーウインドウには下記が表示されていた。
ぼくたちの理解力、それが物の存在を結びつける条件は、物それ自体にはどんな規則も指示しない。これはぼくたちの理解とは一致しないように観えるが、物自体からは一致していると言えるのだ。なぜなら、理解力は物自体に従うものだからである。これで下記が、確信として言えることとなった。
物そのものがア・プリオリに知られることはありえない。
