植物、動物、そして宇宙の規則的な構造(おそらく自然でのすべての秩序も)は、理念にしたがうことだけで可能なものであることを明確に示している… ここでの理念は、理解力の結果としては最高の意味で、個々に、不変に、一貫して規定されている。それが、もの事の根源的な原因なのであり、宇宙でのオブジェクトのつながり(結合)の全体だけが、その理念だけに、完全に適合している… 連載 超訳プロレゴメナ 280 読書会編188
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前島幸太郎:
この14節は自然を対象にしていますが、ぼくはこれを秩序と読み代えても、いいんじゃないかって思ってます。
池田幸男:
自然も秩序も、規則や決まりを、人間からはあたえれないものですね。でも、秩序っていうと、奇妙な方向へ行きそうなことを補正できるような気がしますね!
栗林雄太:
その意味では、自然も補正を受け入れるものじゃないのかな?
桐川夢見:
自然も人間が理想する方向に持っていくことで、わたしたちの生活に潤いが出てくるのですね。
曽根康夫:
日本の縄文から弥生までの文明の変遷は、自然との交流とその進化の歴史だって言われることもありますね。それはいまでも続いているのではないでしょうか?
山際このみ:
その意味では自然も、わたしたちは、どうにもならないって、ものでも、ないんだよね!
前島幸太郎:
荒川先生が、『純粋理性批判』の弁証論の個所を超訳されはじめたみたいで、そのプロトタイプを先日、見せてもらいました。それは、自然にも人間の理念の強い関与があるってことが窺がえるものでした。
そこでは、植物、動物、そして宇宙の規則的な構造(おそらく自然でのすべての秩序も)は、理念にしたがうことだけで可能なものであることを明確に示している。じっさいには、多くの種の個々の存在条件の下では、どの生物もその種の最も完全な観念に合致しないようには観える。それは人間も、その命の在処が理想とは一致しない(人間が自分の行為の原型として、じぶんの魂の中に宿らせている最も理想的な人間性の理念とは、一致しない)、そうした実際の在り方には関係なく、ここでの理念は、理解力の結果としては最高の意味で、個々に、不変に、一貫して規定されている。それが、もの事の根源的な原因なのであり、宇宙でのオブジェクトのつながり(結合)の全体だけが、その理念だけに、完全に適合しているのだ。
それは世界の秩序を、その物理的側面を模倣的に考察することから始まり、目標に、つまり理念に基づいた構造的な相互関係へと結合していく方向に向かっている。ここには大げさな表現も観えるが、それは哲学者としての信念が言わせたものとして受け取るだけにしたい。そして、ここに観える精神的な飛躍は、尊敬できるものであり、これからのモデルとなるに値する試みと言えるものなのだ。
前島幸太郎が上記を、データウィンドウに表示させると、しばらく沈黙が続いた。大半が、自然と理念の関係とは何なのかを、考えながら読んでいたに違いない。
そしてしばらくすると、下記の発言があった。
牧野照邦:
プラトンの『国家』の理想を擁護した後に、続く文章ですね?
