自然科学は、外部の対象を対象とするかどうかは関係なく、厳密に自然一般を表現するものでなければならない… 一般的な自然科学は内的感覚(心理学だけでなく物理学も対象)に関係するとしても、普遍の法則に基づかなければならない… 連載 超訳プロレゴメナ 284 本編 47
第15節
それにも関わらず純粋な自然科学を、ぼくたちは実際に持っている。これは自然が従う法則であり、確定的な命題に必要な必然性をもってア・プリオリに示されたものだ。ぼくが必要としているのは、普遍的な自然科学という名の下に、あらゆる(経験的原理に基づいた)物理学に先立つ自然科学の普及法を証言することだけだ。
そこには、現象に適用された数学と、純粋な自然認識の哲学的部分を生成する論理的な(概念から導き出された)原理が含まれている。
しかし、さらにその中には、完全に純粋とは言えない、経験的な源から得られたものいくつか含まれている。たとえば、運動、(物質の経験的概念が基礎を置いた)不可入性、慣性などであって、そうしたものが一般的な自然科学を、純粋な自然科学と呼ばせない要因となっている。さらにそれは外部の感覚の対象についてのみに関係しているものであって、厳密な意味での普遍的な自然科学の例を示しているわけでもない。
なぜなら自然科学は、外部の対象を対象とするかどうかは関係なく、厳密に自然一般を表現するものでなければならないからだ。一般的な自然科学は内的感覚(心理学だけでなく物理学も対象)に関係するとしても、普遍の法則に基づかなければならない。こうは言ったが、一般的な物理学の原理の中には、ぼくたちがここで求めている普遍性を備えているものが、いくつかある。たとえば、「物は永続的である」、「多くの出来事は不変の法則に従い、予め決定されている」などの命題がそれに相当する。これらは実際には普遍的な自然法則であり、完全にア・プリオリに存在する。
だから、実際に純粋な自然科学が存在している。そしてそれがどのように可能かという問いがここに生まれることになる。
