空間や時間が経験から導き出されたものではないように、自然の法則も経験だけでは、導き出すことは、出来ないものですからね! そこでは、人間の理念を用いることで、自然の可能性の限界を見極める必要があるってことでは、ないでしょうか? だから、経験って言葉に縛れるんじゃなくって、理念で「経験の可能性」を追求していく必要がある… 超訳プロレゴメナ 300 読書会 201
第30回読書会(つづき)
池田幸男:
須田君が指摘した、二つの方法ですが、その二番目をカントは採用する気は、まったくなかったわけですね。そこで言う経験のすべての対象一般が、確定的なものとして、扱うことが難しってこと、それに気づいていたからだって、考えれます。
後半に行くと、こんなふうに書いていますからね。
そして、もしぼくが二番目の方式を選択し、経験の対象としての自然が可能である条件をア・プリオリに求めるとしたら、ぼくは簡単に誤りに陥って、自然を物自体として駆らなければならないと思い込んでしまうに違いない。
曽根康夫:
たしかにその通りでしょうね! 先の第二番目として書かれたところには「経験のすべての対象一般に関する必然的な合法則性」とありますが、理念を前提にしないで取り掛かった考察は、「経験のすべての対象」ではなく、「ある一つの経験のすべての対象」に限られてしまうこともあるからでしょう。
山際このみ:
その意味でも最初の段階で、どんな経験が対象になることができるのかを絞っておかなければならいって、ことなんだよね!
桐川夢見:
カントが言う「経験の対象としての自然が可能である条件」って経験だけに縛られていたら、求めることもできないものってことなのかしら…
牧野照邦:
その通りでしょう! 空間や時間が経験から導き出されたものではないように、自然の法則も経験だけでは、導き出すことは、出来ないものですからね! そこでは、人間の理念を用いることで、自然の可能性の限界を見極める必要があるってことでは、ないでしょうか?
栗林雄太:
さらに、後半にいくとこう書かれています。
こうして、ぼくたちは経験と経験の可能性、そしてア・プリオリに与えられる 制約だけに関りを持つことになる。そうして、ぼくたちは自然をあらゆる可能な経験の全対象として決定することになる。
だから、経験って言葉に縛られるんじゃなくって、理念で「経験の可能性」を追求していく必要があるのだと思います。
桐川夢見:
わたしは、その「経験の可能性」って言葉に、ロマンさえ感じていますけど…
山際このみ:
一年以上前だったはずだけど、先生が、ゼミの時間をはみ出して「経験の類推」のことを話してくれていました… そこに今、大きな関連を観ているわたし自身に気づいています…
