合理的な法則ってのは、原因と結果から矛盾なく導き出すもの… ただし、それも簡単には導きだせるものでは、ありませんが… カントが第二版序文の中で、ガリレイやトリチェリ、そしてシュタールのことを掲げたのは、忍耐強く自分の信念を裏づけていったことに敬意を表したのだと… 超訳プロレゴメナ 299 読書会 200
第30回読書会(つづき)
桐川夢見:
理念は自然を対象に考察するときにも大切なものって、わたしも思います。でも理念だけで、自然を理解できるわけないですよね!
山際このみ:
その通りだって、わたしも思う… デカルトだって「ぼくは思うに」たいして事前の考察があったからこそ、その後に「ぼくは存在する」って言えたんだと思う。
須田隆雄:
その意味では17節で、ア・プリオリな自然認識の可能性を求めるときに二つの方法を指摘しているのが、興味深いと思いませんか?
・経験の対象としての物の必然的な合法則性を、どうすれば認識することが可能なのか。
・経験のすべての対象一般に関する必然的な合法則性をア・プリオリに認識することが可能なのか。
この後で、「どちらを選んでも解決方法は同じだ」って言いながら、さらに先に行くと「最初の方式を選択するほうが賢明だ」って書いていますよね!
ちょっと、戸惑いますけど… 経験より、合理的な法則が成り立ていることを知ることこそが、思考を完璧するものだって、言いたいのでしょうね?
曽根康夫:
合理的な法則ってのは、原因と結果から矛盾なく導き出すものだからってことが前提になっているのだと、思えますね。ただし、それも簡単には導きだせるものでは、ありませんが…
前島幸太郎:
その通りだと思います。カントが第二版序文の中で、ガリレイやトリチェリ、そしてシュタールのことを掲げたのは、忍耐強く自分の信念を裏づけていったことに敬意を表したのだと、思いたいですね。
池田幸男:
つまり、必然的な合法則性を導き出すことも、簡単ではないと言うことなのでしょう。それも経験のすべての対象について考察するよりも、解決の道は短いものになるって言いたかったのかもしれませんね。
栗林雄太:
それでも経験を無視するわけはないですからね! ただカントは経験主義からは、新しものは生まれないって言いたかったじゃないでしょうか?
山際このみ:
そうだよね! タブララサは、蒙昧を唾棄することに役立つけど、新しいものを産みだすわけじゃないものね…
