哲学って、こんなに面白いものなんですね! 荒川先生も、それに気づいて哲学に嵌ってしまったんじゃないのかな?… 連載 超訳プロレゴメナ 174 読書会編122
超訳プロレゴメナ読書会 第十三回から
桐川夢見の感想
哲学って、こんなに面白いものなんですね! それは、前から気づいていましたが、一昨日の読書会では、それをとっても大きく感じました。荒川先生も、それに気づいて哲学に嵌ってしまったんじゃないのかな? 哲学だけでなく考えること自体ってことかもしれないけれど…
人間は常に考える存在だけど、それを面白く思えるのは、限られた人だけなのかもしれない。感覚が感じたものに整然とした裏付けを与えていくって、だれにでもできることじじゃないらしい… そこには生得的なものがあるだけでなく、磨いていくことえを慣習にできる人だけに与えれられるものって、わたしは思っている。
以前、第二節が対象になっていた時だったはずだけど、先生がホワイトボードにこんなのことを書いていた。
N=N+1、N←N+1
これってインクリメントっていうらしくって、7+5=12も、7にインクリメントを5回だけ繰り返したってみることが、カントの純粋数学の捉え方を示しているって思う。
だから第4節の下記が、純粋数学の予測になるって、わたしは思った。
すべてのア・プリオリな認識の中では、純粋な数学的認識の本質的で際立った特徴をもっている。
ちょっと方向を変えて、少し深く考えれば、人間は新しいことに気づくのだろう。
栗林さんが、量子力学って言ったとき、わたしはファインマンのことを思い出していた。ファインマンもほんのちょっとしたことを、深く考えて、新しい事実を発見する人だと、かなり前から思っていたから…
ファインマンの自伝の『ご冗談でしょう、ファインマンさん』に、こんなことが書いてあった。ファインマンの奥さんが入院してて、面会に行ったファインマンの体験がこう書かれていた。
そこで僕は本棚を見て「そうだ、この本は君がしばらく読んでいないんだろう? 今度は僕が外に出ている間に、一冊本を取ってちょっと開いてみるんだ。ただ開くだけだよ。それからまた閉じて棚に戻してごらんよ」と言った。
僕がまた部屋の外に出ている間に、家内は本を一冊取り出し、一回開いてまた閉じるとこれを棚に戻した。僕が病室に戻って喚いでみると、これまた何のことはない、ただ喚ぐだけであっけなくすぐわかってしまった。においのことなどあまり説明したことがないから、適当な言葉が見つからないが、とにかく本を一冊ずつとっては鼻のところに持っていって、二、三度くんくんとやるとわかるのだからふしぎだ。人の触った本には全然違うにおいがするのである。しばらく触らずに放ってあった本は、乾いた味気ないにおいがするが、人の手が触れた本というものは、何となくしめっぽい特有の臭いがするものだ。
まったく読まれていない本と、よく読まれた本は、確かに違う臭いがする。新刊の本屋と古書店の香りも、まったく違っている。それを当然としてしてしまうか、もう一歩踏み込んで考える、それがあたらしい科学を創造するための基本的な姿勢に違いない。
第4節を読んでいると、こんなことを考えさせられる。
超訳が正式に公刊されるときには、現状の流布本とは違う順序になっているって、わたしは信じている…
