いままでも数学とは言っても、空間や時間を配慮するさいの視点を与えてくれるものとして取り扱ってきました。つまり数学は、ぼくたちの思考を明確にするための手順だったとも言うことができるでしょう。 そして14節以降で扱う自然科学は、たんに道具と観ても構わないのではないのでしょうか?… 連載 超訳プロレゴメナ 278 読書会編186
第27回目の読書会が、2019年4月6日(土)に、開催されました。今回は、Zoom使った6回目の読書会です。
今回の対象の節は、14節です。ここでは冒頭に、下記が示されています。
第二章 純粋な自然科学はどうすれば可能になるのだろうか?
つまり、概念の取り扱いの範囲が数学から自然科学に変わったということになります。とは言っても、思考の対象が大きく変わるわけでもありません。
いままでも数学とは言っても、空間や時間を配慮するさいの視点を与えてくれるものとして取り扱ってきました。つまり数学は、ぼくたちの思考を明確にするための手順だったとも言うことができるでしょう。
そして14節以降で扱う自然科学は、たんに道具と観ても構わないのではないのでしょうか?
カントは14節の冒頭を以下のように書き始めています。
自然とは、普遍的な法則にしたがって決定されるという観点においてのみ物事の存在なのだ。自然がそれ自体の存在を意味するとしても、ぼくたちはそれをア・プリオリにもア・ポステリオリにも知ることはできない。
ここ読むと、ぼくたちの周りで存在を感じさせる意味では空間に近いものを考えさせられます。しかし、そこには上記にあるように普遍的法則も存在していることになります。
いまままでのようにオブジェクトの現象を介して認識を形成したのとは異なっているために、経験の概念の適用さえ不確かなものと観ていかなければならないのかもしれません。
