注意しなければならないのは、「空間と時間に影響を与える」と書かれ個所だ。 けっして、空間と時間があって、そのなかでぼくたちが、直観を使っていくて訳じゃないことを、深く弁えておかなければならない… 連載 超訳プロレゴメナ 211 プロローグ編 31
今回は、第11節が対象になる。第10節でア・プリオリの意義が語られたが、今回はそれが空間と時間とを、明確に念頭に置いて語られるものになっている。
感覚が対象とする経験的直観の基礎には、ア・プリオリな(空間と時間での)純粋な直観が存在している。経験的直観は単なる感性の形式にすぎない、これこそが、対象の出現に先立って純粋な直観が存在することを可能にしている。
だが、ア・プリオリに直観するこの能力は、現象の問題(つまり、経験的なものを構成するため、その中の感覚要素)に影響を与えるのではなく、その形式、つまり空間と時間に影響を与えることになる。
ここで注意しなければならないのは、「空間と時間に影響を与える」と書かれ個所だ。
けっして、空間と時間があって、そのなかでぼくたちが、直観を使っていくて訳じゃないことを、深く弁えておかなければならない。なぜなら、空間も時間も、形ある存在ではなく、ぼくたちが、直観で捉えたものを対象に、分析したり総合する過程で、必要あって生まれてきたもの、そう考えなければならないものだからなのだ。
第11節の終わりには、以下が記されている。
ここで取り上げたものは、空間と時間のおいて、まさしく当てはめることができる。これは、時間と空間が、ぼくたちの感性の形式的な条件にすぎないものであることであって、対象が単なる現象として見出されることで、すぐに理解できるものだ。
これと、第9節から登場した「ある方法」を、加えて考えていけば何かが観えてこないだろうか。
ここには、その何かを明確には書かないが、多くが予測できるのでないか。それは、ディスカションの中でも必ず話題になるはずだと、ぼくは確信している。
