もしこの純粋な直観とその可能性を発見できれば、純粋数学からははア・プリオリに総合な命題がどう可能であるか、さらにはこの科学自体がどのように可能であるのかを具体的に説明できる可能性が必ず生まれる… 連載 超訳プロレゴメナ 193 本編33
第7節
数学的認識を観察すると、これには固有の特性があることが解る。数学的認識ではその概念を、視覚として得た直観で示さなければならない。それは実際にア・プリオリとして示されたものであって、そこには経験から得るものは、まったく存在していない。数学的認識は直観から始まるものであり、これを受け入れない限り数学的認識は一歩も進むことができはしない。
すなわち数学的認識での判断は、つねに直観的なのものだと断定しなければならないのだ。
これに対して哲学は単なる概念からの論証からなる判断で満足しなければならない。視覚的なものから得た直観でその考え方を説明することはできても、そこから哲学の考え方そのものを導き出すことは決してできはしない。
数学の特性に関するこの観察結果は、数学の可能性に関して、最初でしかも最高の条件を示唆している。それは、純粋な直観(あるいはビューと呼んでもいい)がその基礎を形成してなければならないもので、そこで数学のすべての概念が構成される。それは具体的に数学の概念がア・プリオリに構築されることを示している。
ぼくたちがもしこの純粋な直観とその可能性を発見できれば、純粋数学からア・プリオリに総合な命題がどう可能であるか、さらにはこの科学自体がどのように可能であるのかを具体的に説明できる可能性が必ず生まれるに違いない。
経験的な直観は、直観自体が総合的に表新しい述語によって、直観の対象についててぼくたちが組み立てる概念を容易に拡張することを可能にしている。そうして純粋な直観も同様に機能するだろう。
唯一の違いとして、哲学では総合的な判断が確実であるのに対し、純粋数学では事後的かつ経験的に確実であることが言える。哲者には偶発的な経験的直観の中で生じるものも含まれるが、純粋数学では純粋な直観の中で発見されるものだけに限られる。ここには感覚的なもの、つまり物質に対するすべての思考が排除されている。ここでの直観はア・プリオリな直観であるため、すべての経験よりも前に、つまり特定の対象を認識するよりも前に、その概念に分離できないものとして結びついている。
