カントにとっては、形而上学じたいが哲学を包含するとする考えを持っていたとも考えられる… 連載 超訳プロレゴメナ 182 プロローグ編27
第5節の後半では、哲学全体の観点から形而上学が語られ始める。しかしカントにとっては、形而上学じたいが哲学を包含するとする考えを持っていたとも考えられる。
これは今までに先立つ哲学なるものを、ぼくたちが自分のものとして持っていなかった、そう言うことになる。先立つ哲学など存在しなかった…
先立つ哲学は、本来は形而上学の一部なのだが、この存在が形而上学の可能性を決定する。なぜなら、先立つ哲学ははまず「物質」の可能性を構成することを意図していて、すべての形而上学に先行しておかなければならないからだ。
そして一つの問いに答える場合にも、他の科学からの援助をすべて除去されてなされるから、それ自体が非常に新しい科学全体が必要とされる。
ここに新たな問いが生まれたようにも観えるが、そうではない。ここまでで、プロレゴメナそのものが問いとなるものを、求め続けてきたと観るべきだろう。
ここまでのことを対象にするとこの先験的な問題は、次の四つ問いに分けることができる。この先ではこれを、順を追って答えていくことになるだろう。
1.純粋数学はどうすれば可能か?
2.純粋な自然科学はどうすれば可能か?
3.形而上学一般はどうすれば可能か?
4.科学としての形而上学はどうすれば可能か?
この四つの問いの解決方法を、ここでは主に『純粋理性批判』での本質的な事項を再び示すように書かれることになる。しかしいくつかはここに独特な形で示したものもある。それだけでも注目に値することが、やがて君たちにも判るはずだ。
こうして第5節が、プロレゴメナのまえがきの締めくくりとなり、いよいよ第6節から形而上学の本論が登場することとなる。
