先立つ哲学は、本来は形而上学の一部なのだが、この存在が形而上学の可能性を決定する。なぜなら、先立つ哲学ははまず「物質」の可能性を構成することを意図していて、すべての形而上学に先行しておかなければならないから… 連載 超訳プロレゴメナ 183 本編30
第5節(承前)
すべての形而上学に必然的に先立つ哲学全体は、ぼくが掲げた問いの解決策なのだ。それも体系的な秩序をもった完全性な解決策と言うことができる。
これは今までに先立つ哲学なるものを、ぼくたちが自分のものとして持っていなかった、そう言うことになる。先立つ哲学など存在しなかった…
先立つ哲学は、本来は形而上学の一部なのだが、この存在が形而上学の可能性を決定する。なぜなら、先立つ哲学ははまず「物質」の可能性を構成することを意図していて、すべての形而上学に先行しておかなければならないからだ。
そして一つの問いに答える場合にも、他の科学からの援助をすべて除去されてなされるから、それ自体が非常に新しい科学全体が必要とされる。
いったいどこが基点なのか不可解にも思われるだろうが、当初から、解決が面倒で困難なことはいまさら言うことでもない。さらに曖昧のなかに包みこまれていると感じるだろうか、それも驚くようなことではない。
この問いの解決に進むときは、分析的方法に従うことにする。つまり純粋理性を基本において、ア・プリオリな認識が実際に存在することを仮定にして進めていくことになる。だからぼくたちは理論的認識に属する二つの科学にのみを対象にすることになる。
その一つが純粋数学であり、もう一つはと純粋自然科学 (物理学)となる。
なぜならこの二つだけが、対象を直感〔明確で現実化可能な形式(in der Anschauung)〕でぼくたちに示すことができるからだ。
その結果として、それらの中でア・プリオリな認識が生まれるとすれば、具体的な対象に対する認識の真実性または適合性を示すことができることになる。それが現実であり、そこから分析手法で可能性の理由を導き出すことができる。
総合的方法では考察を抽象化された概念から導き出さねばならなかった。だがこうして、一般的な考察が単に適用されるだけでなく、事実から開始されるため、ぼくたちの仕事は大幅に容易なものになることが明らかとなった。
