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ア・プリオリの真意性についてはは疑いの余地がないわけではない。これから先に書き記すことは、その疑いの払拭も含まれる… ぼくたちは探究の一環としてこの科学の自然的なるものを含んで理解しなければならない… 連載 超訳プロレゴメナ 184 本編31

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第5節(承前)
 
 しかしこの現実的であると同時に事実に基づいた純粋な認識(ア・プリオリ)から、ぼくたちが探している可能性ある認識、それがどう導かれるのかを理解しなければならない。
 つまり科学としての形而上学へ向かって、ア・プリオリに遡(さかのぼ)っていくためには。それがどうした契機で起こるのかを、理解しなければならないのだ。
 しかしア・プリオリの真意性についてはは疑いの余地がないわけではない。これから先に書き記すことは、その疑いの払拭も含まれる。その過程で科学の根底にある自然であって真実なものを主たる対象にしていく。
 一般にはこの可能性にたいして、批判的な解明を何もしないで、僅かな手を加えたものを形而上学と呼んでいる。だがぼくたちは探究の一環としてこの科学の自然的なるものを含んで理解しなければならないのだ。
 ここまでのことを対象にするとこの先験的な問題は、次の四つ問いに分けることができる。この先ではこれを、順を追って答えていくことになるだろう。
 
1.純粋数学はどうすれば可能か?
2.純粋な自然科学はどうすれば可能か?
3.形而上学一般はどうすれば可能か?
4.科学としての形而上学はどうすれば可能か?
 
 この四つの問いの解決方法を、ここでは主に『純粋理性批判』での本質的な事項を再び示すように書かれることになる。しかしいくつかはここに独特な形で示したものもある。それだけでも注目に値することが、やがて君たちにも判るはずだ。
 それは科学の源を理性そのものに対して探すことであり、その結果としてア・プリオリに認識する理性の能力を得ることになり、量として測定できる可能性が生まれるのだ。
 科学はこの手順を経て、その内容に直接ではなくとも適切な使用を知ることになる。そして科学の共通の起源に関してより高度な問いに光を当てるのだ。したがってそれらの科学自身の性質(本性)をより明解なものにする。 

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