カテゴリー表は思考の進展での思考錯誤を極力少なくするものであり(ゼロになるとは考えられませんが)基本の進路から脱線するのを避けるための道具にすぎない… 思考そのものは人間の理解していく働き(仕事)が、中心になって進展していくもの… どんなに優れたカテゴリー表を使っても、それを解釈し、知識へと昇華させる人間の「泥臭い思考の仕事」がなければ、真の進展は得られない… 連載 超訳プロレゴメナ 333 読書会編 223
2019年9月7日(土)に第35回目の読書会を開催しました。Zoom利用の13回目の読書会です。
読書会の対象となる節は、第22節です。第21節でカテゴリー表が初めて登場しましたから。この22節はカテゴリー表の概念を継承しさらに深めていくものになるのではないかと、観ることができるのかもしれません。しかし、それを全面的に期待すると読者は裏切られた気持ちになるかもしれません。
22節では、カテゴリーという言葉すら、いっさい出ては来ません。
今後、カテゴリーが登場するは、第26節です。さらにその後もまったく出てきません。そして、ようやく第39節で登場することになります。
カントはカテゴリー表を重要なものと観ていましたが、これはいったいどういうことなのでしょうか。
ぼくは、これについて下記のように考えています。
カテゴリー表は思考の進展での思考錯誤を極力少なくするものであり(ゼロになるとは考えられませんが)基本の進路から脱線するのを避けるための道具にすぎない。
カテゴリー表の存在が、思考の進展を、速やかにすることがあっても、思考がそれで補われることはあり得なこと言わなければなりません。思考そのものは人間の理解していく働き(仕事)が、中心になって進展していくものなのです。
どんなに優れたカテゴリー表を使っても、それを解釈し、知識へと昇華させる人間の「泥臭い思考の仕事」がなければ、真の進展は得られないと言わなければなりません。
もっとも読書会では21節の余韻を含んだものもディスカッションされるでしょう。それは、当然なこと捉え、そこから、22節の下記に繋がるものを、参加者が見出していくことを強く願って止まないのです。
感覚の仕事は直観することであり、理解の仕事は考える、つまり思考することにある。思考とはいくつかの表象を一つの意識として結合する意味を持っている。
須田隆雄:
先日、『純粋理性批判』の、二律背反の個所を読んでみましたが、ここでもこの図式が成立していることを、改めて考えさせれました。
1. 量
2. 質 3. 関係
4. 様態
牧野照邦:
たしかに、そのとおりですね。カントのカテゴリー表は、アリストテレスの不足分を補い、人間の思考全般に通じるものとして完成させてものですからね。でも、ぼくはこれで万全なものになっているとは、思ってはいません。
山際このみ:
これでも、万全って言えないの! ちょっと大変な気分にもなってきた…
前島幸太郎:
人間が、考える生態だって思えば、それほど大変な、ことじゃないと思うけどね!…
桐川夢見:
もしかしたら、カテゴリー表に新しい項目を追加する仕事が、わたしたちに残っているのかしら?…
