どんな障害に直面しても諦めること知らない、カントの凄さがここから観えてくる。ほんとうのことをいえば、わたしは12節以前だって、どこまで自分のものしているのか、そんな自信は、ぜんぜんない! でも、それでも理解したい、深く知りたいって、その気持ちは強くなるばかりだ!… 連載 超訳プロレゴメナ 239 読書会編164
第22回目の読書会 まとめ
先日は、『純粋理性批判』第二版序文を、対象にした読書会をやりました。第13節に入ってばかりなのに…
これって、ちょっと、寄り道みたいに見えるけど、そうじゃないんだね!
第13節を読み、そして終えることは、人間の認識の観点や土台を把握できた人だけが、可能なことだって、わたしは思ってる。つい、先日から思い始めたことだけど!…
また、観点や土台を把握できたとしても、そこに安住できないってこと、カントも書いていた。それは、第二版序文の中だけど、読書会の対象にはならなかったところだった。
それは、逆転の発想とも言っていい「コペルニクス的転回」について書いた直後に、その活用のなかで、新たな障害にカントは直面する。それをこんなふうに書いている。
そしてこの方法を活用していくわけだが、それが完全だと言えない事実に直面する。それはいろんな問いにたいして、このア・プリオリな認識を持った能力で演繹して証明をしていくと、形而上学の第一部でその目的からは、とても有害な結果が奇妙なことに生まれてきたのだ。またそれは、形而上学の第二部を占める全体の目的からも、不利と思われる結果だった。それはぼくたちが、可能な経験の限界を超えることが、けっしてできないことだった。これこそが目指す科学の最も重要な関心事なのにこうした障害が生まれるのだ。
だがこの障害とも観えるものは、じっさいには重要な事象だった。それこそが、ぼくたちのア・プリオリな理性認識で、先に書いた方法の真偽を検証するための反証的実験につながるものだったのだ。
どんな障害に直面しても諦めること知らない、カントの凄さがここから観えてくる。
ほんとうのことをいえば、わたしは12節以前だって、どこまで自分のものしているのか、そんな自信は、ぜんぜんない!
でも、それでも理解したい、深く知りたいって、その気持ちは強くなるばかりだ!
この気持ちを持続させることが重要なことに、気づかされる意味でも、第二版序文への寄り道は、とても必要なことだったんだって思う。
今年の四月からは、わたしも荒川ゼミの一員になるけど、かんぜんに新しい気持ちで、参加していくつもりでいる。
でも、気負ってなんかいないよ! かえって、みんながわたしのことを、お手柔らかに扱って欲しいとさえ思っている…
(桐川夢見 記))
