ゼミのテキストは、それを考えるだけの余裕もないものだったからなんでしょう。それが、くそ面白くないテキストだからってことなんでしょうか? 連載 超訳プロレゴメナ 145 読書会編104
超訳プロレゴメナ読書会 第十回から
第10回目の読書会が、2018年8月4日(土)に文京区の公民館で開催された。
今回のテーマは「総合」だが、これにたいして、一部であることが囁かれていた。
ここは形而上学の登竜門となるところだろう。簡単に結論を出すことも難しいところなのではないか?
奇妙な考えも出てくることさえ考えられた。それはそれでいいのだが、混乱はなるべく小さなものにしたかった。
そうしたこともあり、今回は荒川先生にも参加してもらった。
もっとも先生は、こう言っていた。
「ぼくが参加しても、解決するって思わないで欲しんだけど」
第9回目は先生の書斎で開催したけれど、傍にいた先生は、読書会の内容には、まったく触れようともしてはいなかった。
ディスカション
曽根康夫:
第2節のc.の冒頭で、総合的判断は二種類あると書かれています。一つは「事後的」なもので、もう一つは「純粋な理解と理性から生まれる」ものということでした。
事後的とって、経験から導かれるものと考えて言いでしょう。
しかしもう一つのほうは、把握すること自体が難しく感じてしまいます。
池田幸男:
ここをゼミでやったのは一年ほど前になりますが、そのときは、そんな疑問も感じませんでしたね。
須田隆雄:
あのころは、なんとなく解れば、深く追求することはありませんでしたからね!
山際このみ:
ゼミのテキストは、それを考えるだけの余裕もないものだったからなんでしょう。
桐川夢見:
それが、くそ面白くないテキストだからってことなんでしょうか?
前島幸太郎:
(笑いながら)秋からゼミのテキストは超訳を使う方向で行きましょう!
栗林雄太:
それは良いですね! ぼくも大賛成です。
荒川先生が笑っていた。とても嬉しそうに…
