ぼくたちの感性が、オブジェクトを含めた周りを観察していった結果が、空間と時間を存在させることになった… われ思う、ゆえに空間と時間がそこにある これこそが、コペルニクス的転回を端的に顕した言葉なのだといえないか… 連載 超訳プロレゴメナ 272 読書会編185
第26回目読書会 まとめ
かなり多くの回数と時間をかけたが、プリレゴメナの中でも難所といわれる第13節を終えることができた。
人間が自分にたいして、空間と時間をどう見るか、それが今では鮮明なものになりだしている。空間と時間は、もし人間が考えることを止めてしまえば存在しないものと言っていい。だが、今までは自分の中で確信となっていた者がどれだけいただろうか? 漠然とわかってはいたが、納得できていたとは、言えないのではなかったか。
しかし第13節に至って、人間の観念のあり方までを追求させれた。それを何度も語りあう中で、経験や幻想を基本にしていては、空間も時間も、ぼくたち人間には存在しないものでしかなかったのだ。さらに、観察対象のオブジェクトも、人間には実体としては捉えれないものだということも明らかになっていた。
そこでででは、オブジェクトを実体として捉えるのではなく、オブジェクトから生まれてる現象が重要なものだということも、語り合えた。それは、カントが表象として表したものだった。
そして、表象をもってオブジェクトを捉える姿勢こそが、空間や時間が何であるかを明らかにする基本だったのだ。
こうして、ぼくたちの感性が、オブジェクトを含めた周りを観察していった結果が、空間と時間を存在させることになった。
こう言ってもいいだろう。
われ思う、ゆえに空間と時間がそこにある
これこそが、コペルニクス的転回を端的に顕した言葉なのだといえないか。
こうして、ぼくたちは形而上学の基本的な場に立つことが可能になった。今後は、これをさらに明確なものにしていかなかければならない、そして、理解力で構成したカテゴりーも強固な裏付けを確保していくことになる。
次回から第14節に入っていくことになるが、そこは第2章の始まりとなっている。そして、第2章には、下記の題名がつけられている。
純粋な自然科学はどうすれば可能になるのだろうか?
つまり、余計なものを捨象した結果としての自然科学の視点から、ぼくたちの存在と、世界を問いにしていくことになる。そこでは、いままでの純粋数学から視点では補えないものも現われてくるだろう。それはさらに困難を追加することだが、人間が未知に挑戦する理念を持つ限り、避けて通ることはできないものだと言っていい。
だから、今後も読書会への期待は大きくなっていくだけだろう。
(前島幸太郎 記)
付記:
この読書会の参加者の中の5人は、今月の3月20日で学校を卒業した。だが、読書会としてのつながりは、今後も絶えることはないと、ぼくは確信している。
