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カテゴリーそのものものの、真価が発揮されていくことを、知ることができるのは、弁証論を経てからになるはずでした… それが、アンチノミーやアンチテーゼなんですね! そこを対象にした読書会は、かなり先になるんでしょうけど… わたしには、また楽しみが増えてきました…  連載 超訳プロレゴメナ 271 読書会編184

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曽根康夫:
 カントが、当時の周囲にたいして痛烈な皮肉を放ったのは、当時の観念論が彼にとっては、けっして納得できるものでなかったからでしょう。
 経験に頼るだけのものや、神秘的な妄想に視点を置くものが大半だったからですね。それでは、論理を進めていくための概念、つまりはカテゴリ―さえ生まれてなんか来ませんからね。

山際このみ:
 その意味では、カテゴリーを基本にして論証を進めようとした、アリストテレスよりも、後退してるってことなんだよね。

池田幸男:
 アリストテレスのカテゴリーは、彼の講義ノートに残っているだけで、後代になって『形而上学』としてまとめられたものだから、デカルトもバークリーもそれを、完成したものとは観ていなかったんでしょうね?

牧野照邦:
 カントにとっても、アリストテレスのカテゴリーは完成品ではありませんでした。それでも、これを正しい方向で活用することを考え始めたのは、そこに理解力の活用とその結果の総合が、論理の視点を形成することに気づいたからだったと、ぼくは確信しています。

桐川夢見:
 それを、まとめていく中で、オブジェクトも人間が直接には扱えないことを、確信したんじゃないかしら?

栗林雄太:
 それが「コペルニクス的転回」につながったと言っていいわけですね。古いものは使いものにならないなんて考えないで、少しでも使い道があることも、探求することもだいじなんですね?

前島幸太郎:
 たしかにその通りだと思います。カントがじぶんの観念論を語る中では、表象の中に空間や時間が属していることを強調していますからね…

 ぼくの観念論は、事象の感性的表象だけに関係していて、この表象に空間と時間が属しているのだ。この空間と時間について、すなわち一般のすべての現象についてぼくが示したのは、それらが単なる表象様式であって事象に属する規定ではないということである。
 ぼくにとって超越的という言葉は、けっして人間の認識の事物への関係を示すのではなく、認識能力への関係を意味するだけである。これによって誤解を防ぐことを期待していた。だが、これ以上の誤解を招くことを避けるために、ぼくはこの名称を撤回して、批判的観念論と呼ぶことにしたい。

第266回 本編 45

牧野照邦:
 カテゴリーそのものものの、真価が発揮されていくことを、知ることができるのは、弁証論を経てからになるはずでした。

桐川夢見:
 それが、アンチノミーやアンチテーゼなんですね! そこを対象にした読書会は、かなり先になるんでしょうけど…
 わたしには、また楽しみが増えてきました。

須田隆雄:
(字を書きながら)ぼくには楽しみであって、愉しみでもありそうです!

 周りから、笑い声が聴こえていた。

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