フリードリヒ大王が亡くなってからは、カントは支柱を無くし、敵さえ増えていく、そんな状態だったんだけど… 沈黙の十年があって『純粋理性批判』を上梓できたのも、その学究の面白さってものが、身に染みて判っていたからでしょうね… 連載 超訳プロレゴメナ 270 読書会編183
須田隆雄:
牧野さんが、仕事を面白く感じるって、実感なんですね? 社会人として実際に働いていらっしゃるんだから…
牧野照邦:
さっきは、簡単に言ってしまったかもしれません、ぼくが、仕事が面白いって思い始めたのは、ここ数年のことでした…
それまで三年以上くらいかな、面白いものを見つけようとして、失敗を繰り返して、いましたからね!
山際このみ:
でも、それって、いつかは見つかるって希望があったからじゃないかしら…
それを探しているってこと、それも面白いことなんじゃないのかしら?
牧野照邦:
そう言われれば、そうかもしれません。でも、見つかるまでは、荒川先生にも、ずいぶん迷惑をかけてしまいました。
桐川夢見:
荒川先生は、それを迷惑って… 思ってなんかないのじゃないかな?
わたしが、哲学に興味を持ち始めたときも、真剣になってアドバイスしてくれましたから…
池田幸男:
いまさらだけど、桐川さんの感性は、先生の存在で大きく育ったって思うこともあるんですよ! とうぜん、桐川さん自身にも、生得的なものを持っていたのは、間違いないって思ってますけど…
栗林雄太:
でも、ぼくたちにとっては、荒川先生の存在はとても大きいものって思います。ぼくが、荒川ゼミに参加できたのも、学内の規則に例外を作ってくれた、先生のお蔭なんだから…
前島幸太郎:
その意味では、カントは何を信頼して、カント独自の理論を確立したかって思うこともありますね! 当時のフリードリヒ大王の存在が大きかったということは、カントの伝記にも書かれていますけど…
曽根康夫:
だけど、フリードリヒ大王が亡くなってからは、カントは支柱を無くし、敵さえ増えていく、そんな状態だったんだけど…
それでも挫けることなく、独自に理性の論理を構築していったのは、学究のなかにすでに面白いもの… それを育めるまでになっていたいたからではだって、思えますね。
前島幸太郎:
有名な、沈黙の十年があって『純粋理性批判』を上梓できたのも、その学究の面白さってものが、身に染みて判っていたからでしょうね…
その結果が、周りにたいしての痛烈な皮肉な言葉を生みだしたんだって思いますね。
栗林雄太:
今回は、それがここに観えるわけですね!
こういうわけで感覚によって表象される物に現実性を認めはするが、そこにある限定を観る必要があると言わなければならない。その現実性とは感性は限定されていて現象以上のもの何かを表象することは、まったくない。これは自然を説明するめにぼくが考え出した幻想ではない。だからぼくが言うことを観念論とする非難にことに、ぼくが抗議するのも正当で明白なことだと言っていいだろう。
もしこれらについて不適格な発言をする者がいなければ、抗議さえ不要になるはずだ。ところがそういう発言をする者は少なからずいて、自分の考えに固執するだけでなく、一般的な意見と異なるものに、古い名前をつけたがる。そして他の意見の哲学的な精神を理解することもなく、自分の狂気を押し通すことで理論そのものを歪めてしまう。
