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ここでは推測される場合のみという表現に注意すべきだろう。つまり経験から裏付けられるものは、ここには存在しないと考えなければならない… 連載 超訳プロレゴメナ 143 プロローグ編21

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総合について(承前)
 
総合の第二の例として、数学的判断が挙げられる。それはア・プリオリ的側面を持った適切な判断と捉えられるからだろう。

 2.数学的判断はすべて総合的なものだ。
 これは確実な事実なのだ。ところが残念なことだが。長い期間にわたって、この重要な事実か見逃されてきた。事実、これまで人間の理性を分析した人たちの観察から完全に見落とされている。それどころか、議論をするまでもなく重要なのに、彼らのすべてが推測に真逆に反対しているように観える。
その理由は、数学者の推論のすべてが矛盾則に従って行われるから(すべての確実性によって要求されて)、人々は基本原理も矛盾則から認識できると思い込んでいたからだ。
 これは大きな間違いだった。というのは、総合命題は確かに矛盾則に従って理解できるが、それが導かれる別の総合命題を前提として推測される場合のみ可能でしかない。命題自体では決して理解できないのだ。

第144回 本編20

 ここでは推測される場合のみという表現に注意すべきだろう。つまり経験から裏付けられるものは、ここには存在しないと考えなければならない。そして、数学的判断のすべてがア・プリオリな判断であることが、その先で語られることになる。
 
 その後の例で下記が挙げられている。
 
  7+5=12
 
 しかし、この数値にこだわる必要はない。二つに数の和として新しい数が生まれるということを念頭においておけば、数学的判断での総合性といった観点はおのずと把握されていくことは、確定的なことになる。
 
 これについては、読書会のディスカションの中で明確なものにしたいと考えている。

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