直観は物事を、そのままには、表現できないって言いたいんだと、思うんですが… そうだと思う… 人間の直観は、物事をそのまま捉えることができないから… 連載 超訳プロレゴメナ 202 読書会編 139
第17回目の読書会 デイスカション(承前)
曽根康夫:
いよいよ、コペルニクス的転回の、予告が登場しましたね。
池田幸男:
そうですね、こんなところで、すでに予告してたんですね!
山際このみ:
二人で思わせぶりな話、してるから、栗林君が、不思議そうな顔してるよ。
栗林雄太:
でも、ここの冒頭も背理法って言えるんじゃないですか?
ぼくたちの直観が、もしも物事をそれ自体としてあるがままに表現するようなものならば、ア・プリオリな直観など存在しないだろう。そして直観は経験的なものだけを言うことになるはずだ。
つまり、直観は物事を、そのままには、表現できないって言いたいんだと、思うんですが…
桐川夢見:
わたしも、そうだと思う… 人間の直観は、物事をそのまま捉えることができないから、表現することもできないってこと、なんじゃないかしら?
それにさっき、前島さんがここを引用しながら、コペルニクス的転回って言ってたじゃないですか。だから認識の限界を知ることに、逆転の発想があるんじゃないのかな?
山際このみ:
いつも思うんだけど、夢見ちゃんは、天性の判断力の持ち主なんじゃないのかな?
須田隆雄:
その意味じゃ、ぼくは、そんな生得的なもの、持っていないのかもしれない…
前島幸太郎:
そんなこと、ないですよ! 以前、分析と総合を題材にした時に、完璧な命題を掲げたのが、須田君だったじゃないですか?
山際このみ:
それは、ともかく、ここに書いてある、「ある方法」って、何なのかを、ディスカションしようよ!
だから、ある方法だけが、ぼくの直観が対象の現実性を予測可能な先験的な認識であることいえる。つまり、ア・プリオリに可能な直観は、決して感覚の対象以外のものに関係することはできないのだ。
