でも具体例を挙げるわけにもいかないのじゃないのかな? 分析とは違って拡張されたものも対象になるって考えると、多くの派生が可能な対象をかんがえなければならないでしょう? 連載 超訳プロレゴメナ 148 読書会編107
超訳プロレゴメナ読書会 第十回から
ディスカション(承前)
前島幸太郎:
総合的判断の大半が、経験から得られるものでないことを、カントは確信をもって断言しているわけですね。しかしそう言われても、抽象的な言葉の羅列だけでは、納得で切るわけはありません。
山際このみ:
でも、具体例を挙げるわけにもいかないのじゃないのかな? 分析とは違って拡張されたものも対象になるって考えると、多くの派生が可能な対象を考えなければならないでしょう?
曽根康夫:
前回の対象とした第2節の前半には、総合的な判断の例として
いくつかの物体は重い
と書かれていました。これも特定の物体を指している訳でなく、多くのものが対象になり得るものですね。
池田幸男:
それを明確に示すことができるのは公理をもった科学でなければ、難しいのかもしれません。そんな考え方で、数学的判断のほうへ進んでいけば、蓋然的にも総合的な判断を考えることができると思います。
前島幸太郎:
ここでは、矛盾則が適用できるのは、対象の総合命題が、「別の総合命題を前提として推測される場合だけ」と書かれています。したがって数学の推論をそのまま、総合命題を生み出す前提とは、捉えてはならないと、ぼくは捉えます。
桐川夢見:
数学の推論って、公理を基準にしたものなのですか?
山際このみ:
そうだと、わたしも思っている。平行線は交わらないとか、2本の線では面積はできないって基本原則に従って考えることが数学の推論なんでしょう!
栗林雄太:
でも球面幾何学になれば、その公理は矛盾測では、否定できませんね。
須田隆雄:
カントは、トポロジーまでを含んだ近代数学を見据えていたんじゃないのかな?
前島幸太郎:
そうかもしれませんね。それはともかく、次のステップでは「7+5=12」といった具体的な数も挙げられます。そこをしばらく読み合わせてみましょう。
