以前から、先生の学生時代のノートを、『超訳純粋理性批判』って形で、テキスト化したいって話が出てますよね。それを、いよいよ、本格的に考えなければならない時期にきている、そんな気持ちになりました… 連載 超訳プロレゴメナ 208 読書会編143
桐川夢見:
今、前島さんが、フェノメノンとヌーメノンって言われましたけど、それで思い出したことがあります。
荒川先生が学生だった頃のノートにこんな文章がありました。
ぼくたちが、ヌーメノンとして使えるものは、
消極的な意味でのヌーメノンだと、
理解しなければならないってことなんだ。
山際このみ:
あれっ! それって、コペルニクス的展開の根拠みたいなものだよ!
前島幸太郎:
まさしく、そうですね。でも、桐川さん、そんなとこを、よく覚えてますね。
桐川夢見:
先生の、ノートってときどきベランメーになってるじゃ、ないですか! それが面白くて、拾い読みしてたら、そこにぶつかったんです。
池田幸男:
以前から、先生の学生時代のノートを、『超訳純粋理性批判』って形で、テキスト化したいって話が出てますよね。それを、いよいよ、本格的に考えなければならない時期にきている、そんな気持ちになりました。
須田隆雄:
桐川さん、ほかにも印象に残っているところが、ありあますか?
桐川夢見:
出だしのとこに、こんなのが、ありました。
直観が機能するのは、
対象がぼくたちに与えられた場合に限って
起こるってこと(事象)を忘れちゃならない。
こんなところばっかり、拾い読みしてるけど、それが面白くってならないんです。
前島幸太郎:
それは、『純粋理性批判』の冒頭で、直観の重要さを解いた箇所ですね。
第9節で掲げれた、「ある方法」も、直観が重要な要因になることが、今後明らかになってくるはずです。
池田幸男:
その通りですね。今回の対象の第10節も、次のように始まっていますから…
この結果から感覚から生まれる直観だけで、ぼくたちは物事をア・プリオリに取得できることになる。
今はまだ認識できるには客観覚的直観の一つの形、現象にすぎないが、ぼくたちはそこから対象となるものを、それ自体ではなく、ぼくたちの感覚に写された姿として捉えることができていることを、知ることができる。
曽根康夫:
そして、第10節の終わり近くでは、下記のように書かれています。
ここまでに至って解り得たことは、概念の基礎となっているものが単なる直観であることを。再度考えなければならない。物体とその変化(運動)の経験的直観から、経験的なもの、あるいは感覚に属するもののすべてを取り去っても、残るもがあるからだ。
須田隆雄:
つまり、先に言って取り上げられるカテゴリーも、重要なのは、「たんなる直観」ってわけなんですね。もっとも荒川先生は、五感のほうを重要にみているみたいですど。
