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赤道の弧を底辺とする北と南の半球は、辺と角度の両方で等しい二つの球面三角形として、等しいと言えると考えられるが、一方に描かれたものを他方の位置に置くこともできない。だからこの二つの球面上には内的な相違があるとしなければならない… 連載 超訳プロレゴメナ 223 本篇 38

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第13節

 ここまでくると、先に読み進んでいくことを躊躇ためらう人が出てきているかもしれない。なぜならここまでに書いてきたことは、多くの人たちのふだんの生活からかけ離れていると察すると想定できるからだ。ふだんの考えとは、空間と時間が物自体に付属するとするものだ。だがぼくはこれを否定する。だから空間と時間が物自体とは無関係だと言いだしたら、その人たちは自分たちの考えとの間に大きな乖離を見ることになるだろう。その人たちは、空間と時間が物自体に内在する考えから抜け出しことができずに、パラドックスを構築するかもしれない。そしてそれが失敗に終わると、しばらくは空間や時間について考えることさえ止めてしまうかもしれない。そしてあるとき、ふいに空間と時間を単なる感覚的直観に引き下ろすということも、十分な根拠があるかもしれないと疑い始める、そんなこともことも考えられる。その人が、考えることを諦めない人であるならば…

 ここに似通った二つのものがあるとする。その二つのいろんな部分(量や質)を考えつく限り比較してみて、すべてが同じであるならば、どういった状況にあっても、その一方を、他方に置き換えることが可能だと断言できる。そこには識別できる差異がないと言えるからだ。
 これは平面の幾何学でも適用可能な、実際的で妥当な手法と言える。だが立体の幾何学に視点を変えたとき、これを明らかにするのは容易ではなくなる。
 複数の球面図形のなかで、ある二つが完全な内部的な一致が確認できたとしてもその外部関係では差異が生じて、一方の図形を他方の図形に置き換えることが不可能になるのことはよく知られている。たとえば地球を例にとれば、赤道の弧を底辺とする北と南の半球は、辺と角度の両方で等しい二つの球面三角形として、等しいと言えると考えられるが、一方に描かれたものを他方の位置に置くこともできない。だからこの二つの球面上には内的な相違があるとしなければならない。
 だがこの内的な違いを、ぼくたちは理解はしても説明することはできない。そいうわけで、観察はただ空間における外部関係を観ることに終わってしまう。

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