カントに中に、現状では満足できない気持ちが生まれたの確かなことだとわたしは確信している… それは『プロレゴメナ』の三年後の1786年に『道徳形而上学の基礎づけ』を書き、それが『実践理性批判』に繫がっていることも… 連載 超訳プロレゴメナ 263 読書会編179
第25回目読書会 まとめ
今回は第13節の補足3が対象だったけど、半分くらいで終わってしまいました。
内容が、とっても深いところを突いていて、さらにとっても長い文章だから仕方ないことだけど…
補足の1から3までを合計すると、本文の5倍以上の長さになってることも、いまさらだけど驚いてしまうよね。
たぶんこれは、13節が形而上学入門の最終節で、第14節から超越論がテーマになるからじゃないかって思う。
以前にディスかションの中で、第3節と第5節についてカント自身の教育的な指針を話題にしたことがあったけど、これもカントの教育的な観点が働いたんじゃないかって…
形而上学の基本的な問題の総括と、これから必要となる超越論の論理構造、アンチノミーなど、そうしたのの予習を兼ねたものになってるんだと思う。だから、これだけ長いものになったのは、とうぜんって捉えなければならないんだと思う。
だから前回の補足2で、後に「観念論の論駁」に繫がる構想も出てきているんだって思う。
だから、13節の補足を書いているきに、『純粋理性批判』の第2版を書かなければ、ならないって思ったんじゃないのかな?
もしかたら逆で、第二版の構想が、補足を書かせたのかもしれないけど…
こんなこと、順序はどうでも良いけど、カントに中に、現状では満足できない気持ちが生まれたの確かなことだとわたしは確信している。
それは『プロレゴメナ』の三年後の1786年に『道徳形而上学の基礎づけ』を書き、それが『実践理性批判』に繫がっていることも。わたしの確信を強めているんじゃないのかな?
最後に話が変わるけど、読書会に参加者の五人は来月に学校を卒業することになっています。
でもこの読書会が機縁となって、わたし以外の人たちも学求の道からは、去っていくことはない。その強い信念を持っていることは疑いないって、断言してもいいって、わたしは思っている。
(山際このみ 記)
