不器用っていわれる人は、体験を生かしきれない人って言っていいのかな? でも荒川先生も不器用って言われてるね! それは、ちょっと違うね! 荒川先生が不器用って言われるのは、どうでもいい世間の慣習に見向きもしないからなんだよ!… 連載 超訳プロレゴメナ 262 読書会編178
第25回目読書会(つづき)
曽根康夫:
桐川さんが指摘した「経験上の真実の規則に従って正しく一貫性を保つことができる」って、感性が捉えただけでなく、理解力が正しいものを判断するってことなんでしょうね。
山際このみ:
それがあって、自然界の寿命も延命可能になっているってことなんだと思う! だから理解力が正しい判断をするためには、ただ経験を積むだけではなくって、経験から真実の規則を導き出し、そこに判断の基準を設けるってことなんだろうね!
池田幸男:
ぼくもその通りだと思う。たとえば、名人手言われる職人がいますけど、それは、体験の中から、正しい方向を速く見つけた人なのかもしれませんね?
須田隆雄:
ってことは、不器用っていわれる人は、体験を生かしきれない人って言っていいのかな? でも荒川先生も不器用って言われてるね!
山際このみ:
それは、ちょっと違うね! 荒川先生が不器用って言われるのは、どうでもいい世間の慣習に見向きもしないからなんだよ! 出世するための腐心なんて、ぜんぜんしてないんのだからね!
桐川夢見:
でも、それも一つの不器用かのしれない! いいえ、無関心って言っていいのかもしれない。
前島幸太郎:
だから、ほんとうに必要なものにたいしては、経験の中から真実の規則を探り充てることが、可能なんだと思います。
カントもこう書いているいるじゃないですか。
たとえぼくたちが自分の表象の要因を、まったく考えていなかったとしても、感覚の結果として得たすべての認識の規則に従って、(それに含まれるものが何であれ)を空間的にも時間的にも結び付けられて、ぼくたちには仮想か真理が生まれる。どちらにしてもそれは理解力という理解の表現の問題であって、表象の起源の問題ではない。
同様に、ぼくの感覚のすべての表象をその形、空間、時間とともに考えるならば、それは単なる現れであり、空間と時間は感性の単なる形式であり、そこに誤謬が起こる原因などはない。だからぼくが可能性のある経験のみを参照してこれらの表現を使用する場合、ぼくの中には、それらを誤った方向に導いたり幻想を引き起こしたりする可能性があるとも考えてはいない。なぜなら、それらは経験上の真実の規則に従って正しく一貫性を保つことができるからなのだ。
牧野照邦:
ただ、なにが真実かを決定するにも闇雲にやっていて、いいのではないですね。そこに真実を見出す補法論があるのです。
前島幸太郎:
それについては、先に行って、三段論法や、テーゼ・アンチテーゼで取り組んでいくことになります。そこまで行くと、分析や総合を理解するために、苦労したことが報われる爽快感に浸れるって、ぼくは確信しているのです。
須田隆雄:
早くそこに行きたいものですね!
桐川夢見:
でも、焦っても駄目ですよ! 焦ったら必ず失敗するから…
山際このみ:
(笑いながら)そうだよね! この読書会の主旨は、後戻りしてでもプロレゴメナを、ほんとうに理解していく、それだけだものね…
